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指令!関鉄ノ介を探せ-その3-七曲り編 [映画「桜田門外ノ変」]

ここは、水戸領常陸国保内郷と奥州磐城南郷地方を隔てる七曲渓谷です。

生瀬の高柴大沢穴観音に潜伏していた関鉄ノ介は、山狩りなどが行われていることを知り、
何度か藩命で訪れたことがある越後へ逃亡をはかりました。

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↑ 北から撮影した七曲です。



上の画像の右(西側)に古道の痕跡が残っているというので探索してみました。

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↑ 久慈川に二本かかる国道118号線の橋のうち南側の橋から撮影した七曲の渓谷です。
ここから見える左岸の崖の中段に七曲古道が通っていました。

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↑ この橋の下におりると古道の痕跡が見られます。

数年前から、この七曲の古道を整備しようとがんばっている和風レストラン「七曲り」の板長に、
案内してもらいました。

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↑ やぶを抜けるとそれらしき道が現れてまいりました。

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↑ だんだんけもの道のようになり、猿のように先を進む板長の後ろをイノシシのようについていきました。

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↑ 二枚目の写真でわかるようにここは切り立った崖の上を通る道です。

対岸に七曲りさんのお店が見えます。

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↑ 足を踏み外せば、下を流れる久慈川まで転落してしまいそうです。

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↑ 昔、道の石垣が積まれた痕跡が残っています。

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↑ しかし、そのほとんどは、崖を削って通したような崖道です。

沢に切れ込んだところが何か所かあり、そこは、通行不能でしたが、板長さんの先導で崖の上を渡り一枚目の写真のところまで無事に到達しました。

車をおいた七曲りさんのお店に帰る途中なんとトビとオオタカの空中戦を目撃!

taka1.jpg

初めてはっきりオオタカと確認できる写真も多数撮影すること成功しました。

オオタカの画像は、後日またアップする予定です。

幕末当時、常陸から奥州へと向かう道は、大子から下野宮を通り、いったん高田に上がり、
七曲峠を下り、今日紹介したこのあたりの崖道を通り、塙領の石原に達したといわれています。

塙は幕府直轄の天領だったのでここを無事に通り抜けるのは大変だったでしょうね・・・

映画「桜田門外ノ変」では関鉄ノ介と息子の誠一郎の触れ合いが描かれていて涙を誘います。
正しき人の道を教え、範を垂れ、常に慈しみ育み給うのが父親の役割です。

人の道に正しく生きるということは時に、家族や職場の仲間に迷惑をかけることもあります。
でも、そうせずにはいられなかった!
険しい道を歩きながら、関鉄ノ介のそうした心のうちに思いを巡らせていました。

いつの時代にも、そうした国を動かし、歴史を動かす人はいるものだとふと感じました。

さて、関鉄ノ介の息子、関誠一郎くんはその後、どうなったのか・・・

指令!関鉄之介を探せ!-その4-誠一郎君はどこへ・・・編 へ続く・・・

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旅爺さん

そんな崖上の細い山道を必死に逃亡してる時の鉄之助の心境は
どんなものだったんでしょうね? それに歩いて越後まで逃亡とは如何に大変であったか。ですね。
by 旅爺さん (2010-11-11 17:50) 

おじゃまま

コワい…!!プチ高所恐怖症のワタクシには、写真もコワいです〜
by おじゃまま (2010-11-11 17:53) 

テリー

関鉄之助、どうなるのでしょうね。
by テリー (2010-11-11 18:05) 

manamana

映画を見てみたくなりました。
by manamana (2010-11-11 18:36) 

gensin1934

関鉄之介はこんな道を辿って越後まで逃亡を図り、結局逃げ切れずに常陸へ帰って服罪したんですねえ。もののふの潔さというものは、現在を生きるわれわれには想像すら出来ないものがあるようです。
by gensin1934 (2010-11-11 18:51) 

青い鳥

追手を気にしながらこの様な険しい道を逃亡した姿を思い浮かべつつ
画像を拝見いたしました。
龍馬の脱藩の道も険しかったと思うのですが、
七曲の古道はそれ以上かも知れませんね。
by 青い鳥 (2010-11-11 19:11) 

吉之輔

こんばんは、此の様な断崖の細道をね。今の人間には
考えられない心境です。
とても素晴らしい景観ですね、ご訪問&コメント感謝です。
じゃ,また宜しくね。私のブログの洞光寺は同じ曹洞宗のお寺さんです。
by 吉之輔 (2010-11-11 19:45) 

水郷楽人

険しいですね。まさに名前通りですね。
by 水郷楽人 (2010-11-11 19:46) 

Silvermac

竜馬の脱藩の道に似ていますね。
by Silvermac (2010-11-11 21:10) 

ぼくあずさ

険しい古道跡ですね。
オオタカの写真掲載を楽しみにしています。
by ぼくあずさ (2010-11-11 21:23) 

yamaoji

紅葉に川、これを見せていただくと、都内じゃ見れないのに、郷愁を感じずにおれません。
まだ、日本人の血が残っているようです。
by yamaoji (2010-11-11 21:37) 

袋田の住職

旅爺さん 今日は私も落ちたら最後なので必死でした。
昔は追剥もでたそうです。

おじゃまま さん写真ではよくわかりませんが下で光っているのが久慈川です。

テリー さん 関鉄之介の潜伏先は記録が残っているのでよくわかります。

manamana さん 是非映画「桜田門外ノ変」をご覧ください・

gensin1934 さん まさに命がけの行動でしたからね・・・

青い鳥 さん 土佐から阿波や讃岐へ抜ける道も険しいですね。

吉之輔 さん 今は広い国道が通ってますが、昔は山を越え川に沿っての険しい道だったようです。

水郷楽人 さん だいぶ歩いたのに曲がり道なので距離が稼げませんでした。

Silvermac さん 龍馬の脱藩の道も歩いてみたいです。

ぼくあずさ さん 今回はオオタカだとはっきりわかる写真が撮れました。
羽がきれいに透けて見える画像もあります。

yamaojiさん 紅葉に川の景色は北関東各地で見られます。
東北も紅葉がきれいですね。

by 袋田の住職 (2010-11-11 21:59) 

kazoo

七曲渓谷の紅葉は美しいですが、あとの道は険しいですネ。たどるだけでもたいへん。オオタカの写真は楽しみです。
by kazoo (2010-11-11 21:59) 

枝動

古道を整備するという意志は、ロマンがあって良いですね。
今話題の人も、義憤からの行動であると信じ、国のトップは「正しい日本」へ舵を切って欲しい。
by 枝動 (2010-11-11 22:13) 

うしさん

世の中は今こんなに美しいのですね
by うしさん (2010-11-11 23:04) 

SUMAKO

歴史散歩、とても素晴らしいですね。
この映画、視点に興味があるので、近いうちに見てみたいです。
それにしても、「これが道?」と思えるような断崖ですね。高所恐怖症の私には無理かも・・・板長さん、とてもラフな身支度でこんな危なっかしい所を案内して下さったのですね。さすが地元の方は違うわぁ。
by SUMAKO (2010-11-11 23:05) 

海を渡る

早速の nice! ご訪問ありがとうございます。
山や海はもちろん好きなのですが、歴史も好きです。
このブログを見ていると、つい調べてみたくなります。
これからもよろしくお願いします。
by 海を渡る (2010-11-11 23:37) 

きまじめさん

七曲渓谷の紅葉、美しいですね。
古道がうまく整備されて、
紅葉を見ながら散策できるようになると良いですね。
by きまじめさん (2010-11-11 23:53) 

うずま

>だんだんけもの道のようになり、猿のように先を進む板長の後ろをイノシシのようについていきました


板長さんが犬を連れ、方丈様がキジのようについていく姿も想像してみました。
そういった、歴史をたどれる遺跡が身近にあることが想像をふくらませ探究心をくすぐりますね。

そういえば、2~3日前に大子町の永源寺様がNHKで紹介されていました。寺名から宗門の寺か臨済の寺と推察しました。
by うずま (2010-11-12 05:49) 

たいへー

こんな様な山道が、我が村にもあります・・・^^;
by たいへー (2010-11-12 08:51) 

袋田の住職

kazoo さん オオタカは何度も崖山の上を舞ってくれたのでたくさん写せました。

枝動 さん 国家のためを思う人がいつの時代にもいるものですね。
関鉄ノ介は高杉晋作に匹敵する人物だと思います。
水戸の評価は薩長よりも下に見られがちですが、
この時代は、薩摩や長州に先んじていました。

うしさん 自分目で確かめて美しいものを美しいと思える感性が大事だと思います。

SUMAKO さん ここを刈払機で手入れしたこともあるそうなので慣れています。
ラフに見えても、高機能の服を着、滑らないゴム底のシューズを履いています。
私の運動靴の方が滑りました。
ここは、滑り止めの付いた登山靴か高機能長靴じゃないと危険ですね。

海を渡る さん 水戸藩の尊皇攘夷の思想が、水戸をおとづれた吉田松陰によって長州に伝わりました。
水戸は尊皇思想の本家本元です。
この事件もそうした観点からみると興味深いです。

きまじめさん 転落すると助からない場所なので個人の力では限界があると感じました。
町の予算で整備するにはお金がかかりそうだし・・・

うずま さん 永源寺は私の師寮寺でもあります。
現在は兄弟子が住職を勤めています。
師匠の代から植えてきたモミジが今美しく境内を飾っています。
群馬にも永源寺がありますね。
茨城の寺院とも関係があるようです。

たいへーさん 長野にはこんなところたくさんあるでしょうね!
by 袋田の住職 (2010-11-12 09:05) 

okko

それにしても、昔の人は健脚でしたね~。
日本地図を作って伊能忠敬にしても、全部徒歩で、しかもこんなケモノ道のようなところを。 想像もつきません。
石組みの遺産、凄いと思います。それに比べて、近代人の軟弱なこと、美しい景色を眺めながら、つくづく考えさせられました。
by okko (2010-11-12 16:42) 

袋田の住職

okkoさん 江戸時代の石組みがこんなにきれいに残っていたのは初めて知りました。
緻密に積んであって技術の高さがうかがえます。
by 袋田の住職 (2010-11-12 20:45) 

はる

>人の道に正しく生きる、、、
妻や母の私の気持ち的には、あなたがやらなくても、、、とか、
時代を変えなくても生きていて欲しい、、、とか言ってしまいそうです。
子どもに対して父親を憧れて尊敬する存在にしている武士の妻は凄いな~と。
加藤清史郎君はすごいです、ちょっとですが存在感が~。
by はる (2010-11-13 11:02) 

山子路爺

オオタカの舞う姿がいいですね。
崖が多いところなので、巣作りする場所が有るのですかね。
by 山子路爺 (2010-11-13 14:53) 

an-kazu

オオタカのためにも、古道は遊歩道化しないほうが良さそうですね!
by an-kazu (2010-11-13 16:32) 

袋田の住職

はる さん 清史郎くん涙をこらえるシーンでの演技が秀逸でした。

山子路爺 さん 奥久慈の山は岩に穴の開いた岩壁が多いのでタカ類は多いです。

an-kazu さん あまり人が増えると警戒するでしょうね!
by 袋田の住職 (2010-11-14 17:38) 

ミッチー

オオタカは見ることが当地では珍しいです最もそんなとこまで探鳥にいかないからですが
by ミッチー (2012-02-27 10:06) 

袋田の住職

ミッチー さん なかなかオオタカには出会えませんね・・・
この日はラッキーでした。
いつもはカラスとトンビくらいですから・・・
by 袋田の住職 (2012-02-27 12:04) 

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