②梅花流全国大会の旅―その2-(石巻・南三陸編) [防災!復興祈願]
曹洞宗茨城県宗務所梅花講の一行を乗せたバス三台は、松島から道の駅「上品の郷(じょうぼんのさと)」でトイレにより、大川小学校へと向かいました。
もともと石巻で仙台湾に注いでいた北上川ですが、今は河川改修により追波湾で太平洋に流れています。
↑ 東に向きを変えた北上川がゆっくりと流れいます。
他の県の宗務所梅花講の皆さんの法要が終わるのを待って、慰霊碑の前に集まり、
般若心経を読み、追善供養御和讃をお唱えし、回向しました。
大川小学校での法要では、私と野口特派師範が鈴鉦を持って詠讃師を勤めました。その為法要中の画像はありませんのでご了承ください。
↑ 千羽鶴も無事にお供えすることができました。
↑ 皆さんの焼香が終わってから、うちの講員さんたちも焼香し祈りをささげました。
↑ 願いを込めてみんなで折った千羽鶴を供え、ここで亡くなった児童と先生、ここに避難していて亡くなった住民の方々のご冥福を祈りました。
↑ 子どもさんのためのお地蔵さんでしょうか?石のモニュメントが建てられていました。
↑ このような看板も立てられ、配慮しながらここでお参りできるようになりました。
以前、大川小学校の近くまで来た時は、写真を撮らず、車から出ないで、遠くから手を合わせるだけにしました。
周辺の住民、遺族の方の心情に配慮してのことです。
今回、敷地内に入ってみて感じたことは、TV画面で視るのとはだいぶ印象が違うということです。
裏手の杉山はかなりの急斜面で、少し高くなってる橋の所はすぐ近くに感じました。
また、敷地内やその周辺には慰霊のための石などが立ってられていました。
未来の人が再びこの惨事に遭わなくてすむように、後世に津波のことを伝承していくのだという思いが伝わるものもありました。
そのあと、バスは火野正平さんが自転車で訪れた神割崎を回り、南三陸へと入っていきました。
↑ 南三陸町の防災対策庁舎です。
ここでも読経し、お線香をあげて供養しました。
志津川に来て感じたことは、昨秋来た時にあった、いろいろなものがなくなっているということです。
建物の残骸や基礎が片付けられ、盛土してかさ上げしていくのだそうです。
きれいになっていくのは、復興への歩みの中で良いことです。
しかし、何もなくなってしまったら、この震災が風化していくのではないかと心配になりました。
実際、現地で活動している僧侶も同じことを語っていました。
今回同行した檀家さんも、以前南三陸に来たことがある人は、以前ここに街並みがあったことを知っていますが、初めて来た人は、そこに大勢の人が家を建てて住んでいたことに気づかないようでした。
震災の爪痕をみることは、遺族にとってはつらいことです。
そして、その感じ方は人によって違ってきます。
そうした、遺族の感情に配慮しながら、後世に巨大津波のことを伝えるのが、この震災を体験し、生き残った者の務めだと思い活動している人が大勢います。
そうした取り組みと大震災物故者三回忌慰霊法要を兼ねた梅花流全国大会の模様は別記事で紹介します。
↑ 志津川から少し戻って、南三陸ホテル観洋に宿泊、30日は、午前7時半にホテルを出発して利府町にある、グランディ・21に向かいました。
③梅花流全国大会の旅―その3-(大会の様子と復興支援編)へと続く・・・
もともと石巻で仙台湾に注いでいた北上川ですが、今は河川改修により追波湾で太平洋に流れています。
↑ 東に向きを変えた北上川がゆっくりと流れいます。
他の県の宗務所梅花講の皆さんの法要が終わるのを待って、慰霊碑の前に集まり、
般若心経を読み、追善供養御和讃をお唱えし、回向しました。
大川小学校での法要では、私と野口特派師範が鈴鉦を持って詠讃師を勤めました。その為法要中の画像はありませんのでご了承ください。
↑ 千羽鶴も無事にお供えすることができました。
↑ 皆さんの焼香が終わってから、うちの講員さんたちも焼香し祈りをささげました。
↑ 願いを込めてみんなで折った千羽鶴を供え、ここで亡くなった児童と先生、ここに避難していて亡くなった住民の方々のご冥福を祈りました。
↑ 子どもさんのためのお地蔵さんでしょうか?石のモニュメントが建てられていました。
↑ このような看板も立てられ、配慮しながらここでお参りできるようになりました。
以前、大川小学校の近くまで来た時は、写真を撮らず、車から出ないで、遠くから手を合わせるだけにしました。
周辺の住民、遺族の方の心情に配慮してのことです。
今回、敷地内に入ってみて感じたことは、TV画面で視るのとはだいぶ印象が違うということです。
裏手の杉山はかなりの急斜面で、少し高くなってる橋の所はすぐ近くに感じました。
また、敷地内やその周辺には慰霊のための石などが立ってられていました。
未来の人が再びこの惨事に遭わなくてすむように、後世に津波のことを伝承していくのだという思いが伝わるものもありました。
そのあと、バスは火野正平さんが自転車で訪れた神割崎を回り、南三陸へと入っていきました。
↑ 南三陸町の防災対策庁舎です。
ここでも読経し、お線香をあげて供養しました。
志津川に来て感じたことは、昨秋来た時にあった、いろいろなものがなくなっているということです。
建物の残骸や基礎が片付けられ、盛土してかさ上げしていくのだそうです。
きれいになっていくのは、復興への歩みの中で良いことです。
しかし、何もなくなってしまったら、この震災が風化していくのではないかと心配になりました。
実際、現地で活動している僧侶も同じことを語っていました。
今回同行した檀家さんも、以前南三陸に来たことがある人は、以前ここに街並みがあったことを知っていますが、初めて来た人は、そこに大勢の人が家を建てて住んでいたことに気づかないようでした。
震災の爪痕をみることは、遺族にとってはつらいことです。
そして、その感じ方は人によって違ってきます。
そうした、遺族の感情に配慮しながら、後世に巨大津波のことを伝えるのが、この震災を体験し、生き残った者の務めだと思い活動している人が大勢います。
そうした取り組みと大震災物故者三回忌慰霊法要を兼ねた梅花流全国大会の模様は別記事で紹介します。
↑ 志津川から少し戻って、南三陸ホテル観洋に宿泊、30日は、午前7時半にホテルを出発して利府町にある、グランディ・21に向かいました。
③梅花流全国大会の旅―その3-(大会の様子と復興支援編)へと続く・・・
2013-06-01 06:56
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コメント(16)
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復興していくに従って、風化は避けられないかもしれません。
思い続けるのは辛い事です。
by たいへー (2013-06-01 07:18)
たいへーさん直接関わりのない人のなかでは災害の記憶は薄れ風化していきますが、大切な人を失った人にとって風化などあり得ないのです。そうした重いものを抱えている人にずっと寄り添っていくのが僧侶の立場です。
by 袋田の住職 (2013-06-01 07:26)
この災害を教訓にして災害に強い街づくりとなる様に願っています。
by 侘び助 (2013-06-01 08:35)
皆様のご活動に、手を合わせております。
あの!朝の連続ドラマに、いろんな意味で注目中です。(昭和時代のような)同じテレビ番組で、(日本中?)心が一つになるような感覚と、ドラマ中の日付(震災前)が表示されると、心が・・・集まる(?)と!思って、ドラマを観ています。
by hanamura (2013-06-01 12:47)
これからは津波災害から守れる街作りをしなければ・・・!
生き残った人の課題ですね。
by せつこ (2013-06-01 13:52)
こんにちは^^
やはり大事なことは↑せつこさんが仰っているように、災害に強い街づくりというか
街そのものでなくとも、人々がその心構えを持ち準備することでしょうね。
それがこの災害で亡くなられた方への供養でもあると思います。
by mimimomo (2013-06-01 15:06)
何時、どこで遭遇するか分からない天災、、運がよいことを祈ります。
by Silvermac (2013-06-01 16:25)
侘び助 さん 災害を乗り越えた街も人も強くたくましくなっていることでしょう。
hanamura さん この後の展開が楽しみですね。
せつこ さん なにより人的被害を出さないことが最優先です。
mimimomo さん その心構えが大事ですね。
危機管理をしっかりしないと非常時に対応できません。
Silvermac さん 備えあれば運も味方にできます。
by 袋田の住職 (2013-06-01 20:47)
大川小学校、南三陸町の防災対策庁舎などで
ご供養していただきありがとうございました。
防災対策庁舎は車窓から手を合わせてきました。
by 弁慶 (2013-06-02 05:53)
北米の竜巻もそうですが、学校でというのが辛いですね。
by an-kazu (2013-06-02 10:26)
「にっぽん縦断こころ旅」でも通った場所。。。 ちょっと言葉が出ませんでしたよね。
20年近く前になるかな?・・・ 社員旅行でこのホテルに泊まった事があります。
by まー坊 (2013-06-02 16:37)
マスコミが取り上げているのはごく一部で、限られた場所だったりします。
風化しないように、どこかの街だけが活性化するのでなく、東北全体が
元気になるように、できることで応援します。
by タケノコ (2013-06-02 16:51)
大川小学校の被災の事実は、聞くたびに心が痛みます。
二度と同じ悲しみが起こらないよう、
このような形で、後世に伝えていくのですね。
風化させないためにも。
by きまじめさん (2013-06-02 22:13)
弁慶 さん 防災対策庁舎に手をあわせる人の姿がたえませんね。大川小学校を見学された方は、津波への備えを心に刻んだことでしょう。
an-kazu さん 昨年の茨城県・栃木県・福島県で発生した大竜巻もそうですが、災難は何時どんな形で人を襲うか想像もできません。火山の噴火や台風もあります。
学校は避難所となることが多いのでその意味でも日頃の訓練が大事です。
まー坊 さん 「にっぽん縦断こころ旅」では私が何度か行った戸倉地区が写りました。火野さんが食べていたラーメン屋さんや神割岬も確認できました。
以前行っていた場所ですので、すぐわかりました。
高萩や北茨城の火野さんが自転車ではしたっと所は気になって行ってみました。
タケノコ さん 私は、宮城県の亘理町荒浜、名取市閖上、石巻市、南三陸町、気仙沼市などに縁があったので何度か行きましたが、それぞれが自分の判断でその地域を応援すれば、広い範囲をカバーできると思います。
マスコミの情報は偏りますので、自分御判断が重要だと思います。
きまじめさん 伝承があるのとないのでは、いざという時の対策が違ってくると思います。
巨大津波を想像できな方っという人は、自分の経験でしかものをみないからです。私は、2004年のスマトラ沖巨大地震の映像をみて、今回もこれに匹敵する巨大津波が来ると思い、那珂インターを下りた時、那珂川も津波が遡るのではないかと思いました。
語り継ぐこと、そして、モニュメントとして残していくことは意味あることだと考えます。
そして、現在ある、そうしたモニュメントの語りかけていることに耳を傾けることも大事だと思います。
うちの裏山には「可恐(恐るべし)」と刻まれた久慈川でおきた大洪水を後世に伝える石が建っています。
by 袋田の住職 (2013-06-03 06:14)
こんにちは‼
周りの風景が全く変わって仕舞うのは賛否両論だと思いますが、この地で
災害が(津波)があった事を後世に残して、教訓にする事は大切な事だと
思うのですが・・・
「人の噂も75日」と言いますが、全国民が忘れてはならない重大な
災害です。
by ちゃーちゃん (2013-06-03 17:31)
ちゃーちゃん 被災者にとって過去の出来事で無い、現在も続いている大震災なのですが、多くの国民はすでに過去の出来事だと思っているのではないでしょうか?
その意味でも、後世に伝えていくことが大事だと思います。
by 袋田の住職 (2013-06-05 06:38)