南酒出城(みなみさかいでじょう)跡を探訪してきました。 [日本の城]
今日は、うちを7時半に出発、8時半に額田の鱗勝院さんへ行き、
そのあと、南酒出城跡を探索し、水戸市大足(おおだら)の安国寺さんで、
つくば会梅花寺族合同研修会の講師を午前中だけ務め、
午後1時から水戸保護観察所の会議に出席、
大子に戻り、学校警察連絡協議会(学警連)の総会・情報交換会に出席、
そのあと、リバーサイド奥久慈で開催の学警連の懇親会に出席し、戻ってきました。
いろいろありましたが、無事に全部の会合に出席し、有意義な時間を過ごしてきました。
ということで、今日は、南酒出城を紹介します。
↑ 南酒出城は蒼龍寺さんに隣接してあります。
↑ 源頼朝と戦い勇名をはせ佐竹秀義の息子で、承久の乱で活躍した義茂を祖とし、
その家の名跡を継いだ東義久は、佐竹義宣の家臣でありながら、豊臣秀吉に見込まれ、仕えるように勧められたほどの名参謀であったと伝えられています。
↑ 南酒出城の歴史は鎌倉時代にまでさかのぼるが、このように整備されたのは戦国時代末期、佐竹本家が額田城を攻めた時だそうです。
↑ 杉木立の中を歩いて行くと、本郭の方向を示す矢印が・・・
↑ 土塁と堀で築かれた城です。
↑ 本郭の回りは土塁になっていてその上に登り外敵を迎え撃つことが可能です。
↑ 井戸もあるので、水の心配はありません。
↑ 東の額田城方向は急な崖になっていて、防御も固そうです。
↑ 土塁の上からは深い堀を見おろすことができます。
↑ 南酒出の蒼龍寺です。
蒼龍寺は佐竹氏の秋田移封により秋田へ移されましたが、常陸にも蒼龍寺が残されました。
前々記事の額田城ですが、北と南、それに東は地形の関係で守りが固いのに対し、
西からは、台地を伝って攻め込まれる心配があったようです。
それで、佐竹氏は額田城を西の南酒出城を拠点に攻撃したのだと思います。
ここも、額田城同様、最近研究が進み、整備が進められている城跡です。
そのあと、南酒出城跡を探索し、水戸市大足(おおだら)の安国寺さんで、
つくば会梅花寺族合同研修会の講師を午前中だけ務め、
午後1時から水戸保護観察所の会議に出席、
大子に戻り、学校警察連絡協議会(学警連)の総会・情報交換会に出席、
そのあと、リバーサイド奥久慈で開催の学警連の懇親会に出席し、戻ってきました。
いろいろありましたが、無事に全部の会合に出席し、有意義な時間を過ごしてきました。
ということで、今日は、南酒出城を紹介します。
↑ 南酒出城は蒼龍寺さんに隣接してあります。
↑ 源頼朝と戦い勇名をはせ佐竹秀義の息子で、承久の乱で活躍した義茂を祖とし、
その家の名跡を継いだ東義久は、佐竹義宣の家臣でありながら、豊臣秀吉に見込まれ、仕えるように勧められたほどの名参謀であったと伝えられています。
↑ 南酒出城の歴史は鎌倉時代にまでさかのぼるが、このように整備されたのは戦国時代末期、佐竹本家が額田城を攻めた時だそうです。
↑ 杉木立の中を歩いて行くと、本郭の方向を示す矢印が・・・
↑ 土塁と堀で築かれた城です。
↑ 本郭の回りは土塁になっていてその上に登り外敵を迎え撃つことが可能です。
↑ 井戸もあるので、水の心配はありません。
↑ 東の額田城方向は急な崖になっていて、防御も固そうです。
↑ 土塁の上からは深い堀を見おろすことができます。
↑ 南酒出の蒼龍寺です。
蒼龍寺は佐竹氏の秋田移封により秋田へ移されましたが、常陸にも蒼龍寺が残されました。
前々記事の額田城ですが、北と南、それに東は地形の関係で守りが固いのに対し、
西からは、台地を伝って攻め込まれる心配があったようです。
それで、佐竹氏は額田城を西の南酒出城を拠点に攻撃したのだと思います。
ここも、額田城同様、最近研究が進み、整備が進められている城跡です。
2013-07-05 21:16
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コメント(3)
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兵どもの夢の跡、ですね。
by Silvermac (2013-07-06 09:45)
自分の家という「城」で、頑張ってます。(笑
by たいへー (2013-07-06 12:47)
大変、忙しい1日でしたね。
城の跡、整備されるといいですね。
by テリー (2013-07-06 18:07)