南三陸復興支援「うたごころ」上映会 [防災!復興祈願]
まずは、雨上がりの平成25年11月11日(月)週明けの朝7時の境内です。
↑ 例年なら、日にち差で色づいていく木々が全部紅葉が見頃に・・・
昨日は、午後から那珂市瓜連まで出かけてきました。
場所は・・・
那珂市瓜連のら・ぽーるです。
以前、梅花流の県大会や、曹洞宗茨城県宗務所婦人会で吉村ふく好さんの講演会を行ったこともある場所です。
今日は、昨日行われた那珂市後台の蕎麦屋「五楽亭」さんが主催したイベントの記事です。
↑ ここで、映画「うたごころ」が上映されます。
↑ チケットを持った人が長い行列を作っています。
↑ 映画のポスターです。
写真は、以前私も何度かこのブログでご紹介した、志津川湾から昇る朝日です。
↑ 中で五楽亭のご主人が挨拶して観客を迎えています。
私も当日券を購入し、立見席で観覧しました。
↑ 中はいっぱいでした。
上映に先立ち、南三陸町の戸倉小学校の震災当時の校長先生の講演がありました。
インターネットや報道で、また、8月に南三陸町教育委員会でお話を伺ったりして、
戸倉小学校で児童と先生の避難の様子はある程度知っていましたが、もっと詳しく知りたい、
当時の校長先生の話を聴かなければ、本当のところはわからないと思ったからです。
校長先生がまず語ってくれたのは、戸倉小学校では、昭和60年から震災の時まで、
26年に亘る地域の方々と交流を深めていたということです。
授業の一環として、地域の方を先生に子供たちにいろいろなことを体験させていたそうです。
21年に赴任した校長先生は、避難方法を見直し、高台避難でなく、短時間で出来る屋上避難に切り替えようとしたそうです。
(隣接する、戸倉保育所は、小学校の屋上が避難場所だったそうです。)
しかし、地元に住む先生方の反対にあい、変えられなかったと言ってました。
二年間の間に、職員と議論を重ね、何も持たずに逃げるのでなく、防寒着を持って、
ラジオを持って逃げるようにマニュアルを変更したそうです。
避難場所については、高台、または、屋上とし、校長が判断する。
と、あいまいな形で決着したそうです。
そして、東日本大震災の当日、5分間に亘る長く校庭が波打つような経験のない揺れに、
大津波の襲来を覚悟した校長先生は、校庭の一角に集合してから高台に移動するというマニュアルを無視し、
直ちに、高台への避難を決断したそうです。
それまで、議論してきたことを踏まえ、屋上で孤立した時のリスクを考えてのことだったそうです。
ちなみに、戸倉小学校は完成したばかりの体育館、そして、校舎は給水塔の上まで完全に水没してしまい、
もし、屋上に避難していたら、誰ひとり助からなかったと思われます。
避難した高台で、一人の先生が車で自宅に戻り、津波で亡くなったこと、
帰宅していた児童の一人が亡くなったことをたいへん悔やんでいました。
児童は、教えを守り、近くの高台に避難したそうですが、さらに高い津波に襲われ亡くなったそうです。
そして、児童・先生・地域の人が避難していた高台にも津波が迫り、
校長先生は、さらに高い神社の境内に逃げるように指示を出したそうです。
低学年や怪我をしている人から避難を始め、5・6年生が逃げる頃には足元まで波が来ていたそうです。
神社の境内に駆け上がった児童や地域の人たち約160人は焚き火で暖をとり一夜を過ごしました。
地域の人が、見つけてきたみかんとチョコレート、その全てを子供たちに食べさせてと学校に提供したそうです。
子供たちは、それを均等に分けて食べたそうですが、地域の方は、何も食べずに我慢していて、
一人もそのことに文句を言う人がいなかった・・・。
校長先生はそのことをたいへんありがたく感謝されていました。
南三陸の戸倉地区で震災の日に起きたこと、そして、その夜のことを、私たちは伝えて行かなければなりません。
震災の後、救援物資を車に積んで、故郷である戸倉地区に向かった五楽亭さん。
何度も何度も、那珂市の小中学校などで必要なものを集めて南三陸に送りました。
そのご縁で、今回の講演と「うたごころ」の上映会が開催されたわけですが、
正直、満員になるとは思っていませんでした。
茨城県、けっこうやるなぁ!那珂市、頑張ってるな!と思った次第です。
↑ ロビーでは、南三陸復興支援のため即売会が行なわれていました。
私も、美味しい南三陸のわかめを買って帰りました。
↑ 例年なら、日にち差で色づいていく木々が全部紅葉が見頃に・・・
昨日は、午後から那珂市瓜連まで出かけてきました。
場所は・・・
那珂市瓜連のら・ぽーるです。
以前、梅花流の県大会や、曹洞宗茨城県宗務所婦人会で吉村ふく好さんの講演会を行ったこともある場所です。
今日は、昨日行われた那珂市後台の蕎麦屋「五楽亭」さんが主催したイベントの記事です。
↑ ここで、映画「うたごころ」が上映されます。
↑ チケットを持った人が長い行列を作っています。
↑ 映画のポスターです。
写真は、以前私も何度かこのブログでご紹介した、志津川湾から昇る朝日です。
↑ 中で五楽亭のご主人が挨拶して観客を迎えています。
私も当日券を購入し、立見席で観覧しました。
↑ 中はいっぱいでした。
上映に先立ち、南三陸町の戸倉小学校の震災当時の校長先生の講演がありました。
インターネットや報道で、また、8月に南三陸町教育委員会でお話を伺ったりして、
戸倉小学校で児童と先生の避難の様子はある程度知っていましたが、もっと詳しく知りたい、
当時の校長先生の話を聴かなければ、本当のところはわからないと思ったからです。
校長先生がまず語ってくれたのは、戸倉小学校では、昭和60年から震災の時まで、
26年に亘る地域の方々と交流を深めていたということです。
授業の一環として、地域の方を先生に子供たちにいろいろなことを体験させていたそうです。
21年に赴任した校長先生は、避難方法を見直し、高台避難でなく、短時間で出来る屋上避難に切り替えようとしたそうです。
(隣接する、戸倉保育所は、小学校の屋上が避難場所だったそうです。)
しかし、地元に住む先生方の反対にあい、変えられなかったと言ってました。
二年間の間に、職員と議論を重ね、何も持たずに逃げるのでなく、防寒着を持って、
ラジオを持って逃げるようにマニュアルを変更したそうです。
避難場所については、高台、または、屋上とし、校長が判断する。
と、あいまいな形で決着したそうです。
そして、東日本大震災の当日、5分間に亘る長く校庭が波打つような経験のない揺れに、
大津波の襲来を覚悟した校長先生は、校庭の一角に集合してから高台に移動するというマニュアルを無視し、
直ちに、高台への避難を決断したそうです。
それまで、議論してきたことを踏まえ、屋上で孤立した時のリスクを考えてのことだったそうです。
ちなみに、戸倉小学校は完成したばかりの体育館、そして、校舎は給水塔の上まで完全に水没してしまい、
もし、屋上に避難していたら、誰ひとり助からなかったと思われます。
避難した高台で、一人の先生が車で自宅に戻り、津波で亡くなったこと、
帰宅していた児童の一人が亡くなったことをたいへん悔やんでいました。
児童は、教えを守り、近くの高台に避難したそうですが、さらに高い津波に襲われ亡くなったそうです。
そして、児童・先生・地域の人が避難していた高台にも津波が迫り、
校長先生は、さらに高い神社の境内に逃げるように指示を出したそうです。
低学年や怪我をしている人から避難を始め、5・6年生が逃げる頃には足元まで波が来ていたそうです。
神社の境内に駆け上がった児童や地域の人たち約160人は焚き火で暖をとり一夜を過ごしました。
地域の人が、見つけてきたみかんとチョコレート、その全てを子供たちに食べさせてと学校に提供したそうです。
子供たちは、それを均等に分けて食べたそうですが、地域の方は、何も食べずに我慢していて、
一人もそのことに文句を言う人がいなかった・・・。
校長先生はそのことをたいへんありがたく感謝されていました。
南三陸の戸倉地区で震災の日に起きたこと、そして、その夜のことを、私たちは伝えて行かなければなりません。
震災の後、救援物資を車に積んで、故郷である戸倉地区に向かった五楽亭さん。
何度も何度も、那珂市の小中学校などで必要なものを集めて南三陸に送りました。
そのご縁で、今回の講演と「うたごころ」の上映会が開催されたわけですが、
正直、満員になるとは思っていませんでした。
茨城県、けっこうやるなぁ!那珂市、頑張ってるな!と思った次第です。
↑ ロビーでは、南三陸復興支援のため即売会が行なわれていました。
私も、美味しい南三陸のわかめを買って帰りました。
2013-11-11 18:09
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コメント(5)
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こんばんは。
当事者経験者に聞かなければ、わからないことはたくさんありますね。
やはり私達は、経験(聞いた話も含めて)に学ばなければなりません。
咄嗟の時に的確な判断ができるかどうか、自信はありませんが、常に身構えるようにしたいものです。
by 枝動 (2013-11-11 22:11)
私の以前の那珂湊レポートは、「ひたちなか海浜鉄道」と「おさかな市場」ばかりでしたが、訪れたとき駅でもらった、震災からの記録冊子を、今も手元に置いています。その活動が、報道され注目され・・・そんなことは問題ではありませんがぁ・・・那珂市や、ひたちなか市の活動は、本当に素晴らしいと思います。
by hanamura (2013-11-11 23:18)
見事に紅葉しましたね。当地も来週あたりは紅葉が進むでしょう。
by Silvermac (2013-11-12 06:07)
味噌汁に入れたら美味しいでしょうね。
by たいへー (2013-11-12 08:16)
台風30号はフィリッピンに大きな被害をもたらしたことが報じられています。TVで見ると東日本大震災の時を思い出させます。
同時に報じられているのが、避難民の食料など無く、支援物資が略奪。強奪されているということ。
日本にはそれがありませんでしたね。
by 斗夢 (2013-11-12 08:33)