小諸なる古城に立ち寄り・・・ [日本の城]
11月1日(金)長野県小諸市へ仕事で行ったついでに、小諸城へ立ち寄ってみました。
天文12年(1543)に武田信玄がこの地を攻略し、山本勘助らに命じて城を築かせたのが始まりと言われています。
徳川家康の勧めで織田方についていた依田氏、その遺児で家康から松平姓を与えられた康国その弟康勝が城主となりました。
その後、仙谷秀久が城主となり、今のような近世城郭を築城しました。
江戸時代は徳川幕府の譜代や親藩が入れ替わり城主となりましたが、
元禄年間に牧野氏が越後から入り、その後10代続いて明治維新を迎えました。
↑ 小諸駅を隔てて東側にあるどっしりとした大手門です。
↑ 建物は駅の近くにあります。
↑ 線路の下をくぐる通路で行き来できますが、私は構内を跨ぐ駅の自由通路を歩きました。
↑ 1742年の洪水で流され、1765年に再建された三の門です懐古園の額が掲げられています。
↑ 枡形の石垣が残っています。
小諸城は背後に千曲川を背負い崖の上にあり、城下町よりも低い位置にあることから「穴城」と呼ばれる構造です。
広く深い空堀で囲まれ防御線としています。
↑ 南丸の跡です。
↑ 深い空堀を黒門橋で渡り、天守台のある本丸に向かいます。
↑ 天守台の石垣です。
↑ 仙石秀久が築いた三重の天守があたっといわれています。
↑ 天守台からの眺めです。
今はあまり眺望がよくありませんが、天守閣からは千曲川や浅間山がよく見えたのではないでしょうか・・・
なお、城域は懐古園として整備され、藤村記念館、児童遊園地、動物園、寅さん会館、小山敬三美術館などがあります。
天文12年(1543)に武田信玄がこの地を攻略し、山本勘助らに命じて城を築かせたのが始まりと言われています。
徳川家康の勧めで織田方についていた依田氏、その遺児で家康から松平姓を与えられた康国その弟康勝が城主となりました。
その後、仙谷秀久が城主となり、今のような近世城郭を築城しました。
江戸時代は徳川幕府の譜代や親藩が入れ替わり城主となりましたが、
元禄年間に牧野氏が越後から入り、その後10代続いて明治維新を迎えました。
↑ 小諸駅を隔てて東側にあるどっしりとした大手門です。
↑ 建物は駅の近くにあります。
↑ 線路の下をくぐる通路で行き来できますが、私は構内を跨ぐ駅の自由通路を歩きました。
↑ 1742年の洪水で流され、1765年に再建された三の門です懐古園の額が掲げられています。
↑ 枡形の石垣が残っています。
小諸城は背後に千曲川を背負い崖の上にあり、城下町よりも低い位置にあることから「穴城」と呼ばれる構造です。
広く深い空堀で囲まれ防御線としています。
↑ 南丸の跡です。
↑ 深い空堀を黒門橋で渡り、天守台のある本丸に向かいます。
↑ 天守台の石垣です。
↑ 仙石秀久が築いた三重の天守があたっといわれています。
↑ 天守台からの眺めです。
今はあまり眺望がよくありませんが、天守閣からは千曲川や浅間山がよく見えたのではないでしょうか・・・
なお、城域は懐古園として整備され、藤村記念館、児童遊園地、動物園、寅さん会館、小山敬三美術館などがあります。
2013-11-12 17:00
nice!(25)
コメント(1)
トラックバック(0)
ここは行った事が無いです。
栗ようかん方面でしたね。(笑
by たいへー (2013-11-13 07:26)