池田橋の架け替え工事が進んでいます。 [日本の川]
下津原と袋田駅前を結ぶ昭和橋は、新昭和橋に架け替えられました。
実は昭和初期の同じ時期に袋田村が架設した橋がもう一本あり、
それが、池田橋です。
↑ 池田橋の向こう側に新しい橋脚が立ち、橋げたが乗せられています。
↑ 今までの池田橋のすぐ上流側で建設が進んでいます。
↑ 新しい橋の上流側に盛土をし、そこで組み立てたのをクレーンで橋脚に取りつけるという工法です。
↑ 土盛りした下のパイプを水は流れています。
水郡線も、今の常陸大子駅でなく、久慈川の東岸の池田を通す計画もあったそうです。
しかし、大子町内の発展のために今の位置に駅ができ、東に道ができたようです。
池田橋も昭和橋も水郡線が開通した昭和初期にできた車一台がやっと通れる橋です。
けっこう丈夫な橋で、長い間役目を果たして来ましたが、間もなくその役目を終えます。
10月、11月に続き、12月もブログカレンダーには襷を描く予定です。
もちろん願いは、母校である駒澤大学の箱根駅伝優勝を願ってです。
今年も残り三週間、龍泰院だよりの編集作業が終わりました。
あとは、ひたすら大掃除です。
実は昭和初期の同じ時期に袋田村が架設した橋がもう一本あり、
それが、池田橋です。
↑ 池田橋の向こう側に新しい橋脚が立ち、橋げたが乗せられています。
↑ 今までの池田橋のすぐ上流側で建設が進んでいます。
↑ 新しい橋の上流側に盛土をし、そこで組み立てたのをクレーンで橋脚に取りつけるという工法です。
↑ 土盛りした下のパイプを水は流れています。
水郡線も、今の常陸大子駅でなく、久慈川の東岸の池田を通す計画もあったそうです。
しかし、大子町内の発展のために今の位置に駅ができ、東に道ができたようです。
池田橋も昭和橋も水郡線が開通した昭和初期にできた車一台がやっと通れる橋です。
けっこう丈夫な橋で、長い間役目を果たして来ましたが、間もなくその役目を終えます。
10月、11月に続き、12月もブログカレンダーには襷を描く予定です。
もちろん願いは、母校である駒澤大学の箱根駅伝優勝を願ってです。
今年も残り三週間、龍泰院だよりの編集作業が終わりました。
あとは、ひたすら大掃除です。
2014-12-12 07:00
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コメント(2)
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大子地区はは、袋田村の一部だったんですか?。
by tomo (2014-12-12 07:36)
tomo さん 保内郷と呼ばれるこの地域の中心だったのが大子町です。大子町と久慈川を隔てた東側が袋田村でした。池田地区も袋田村でしたので池田橋をへだてて、西が大子町、東が袋田村だったのです。
by 袋田の住職 (2014-12-12 08:29)