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④群馬県へ行って来ました-その4-(世界遺産富岡製糸場の内部編) [観光]

群馬県の旅の最終回です。
楫取素彦(小田村伊之助)は、初代群馬県令(群馬県知事)として赴任し、前橋に県庁を置きました。
それは、生糸産業の重要性を考えたためといわれています。

明治五年に創業し、経営難に陥っていた富岡製紙場の立て直しにも尽力されたといわれています。

それでは、いよいよ、富岡製糸場の中をご紹介します。

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↑ 東置繭所は、木材を組み、焼いたレンガを漆喰で固めた構造です。



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↑ 説明を聴きながら歩いて行きます。

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↑ 右が東置繭所、左手には管理棟、女工宿舎、診療所などが続きます。

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↑ 女工館です。

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↑ 繰糸所です。

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↑ 中に入ってみましょう。

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↑ 木造三角トラス構造で屋根を支えているので、中に柱はありません。

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↑ たくさんの機械がどこまでも並んでいます。

こちらは、ブリュナ館、外国から雇われてきた工場長の住まいです。

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↑ 南側から見ると、かなり大きな建物だとわかります。

最後に、楫取素彦と吉田松陰をつなぐエピソードを一つ・・・

横浜の外国人商人を経由しないで直接輸出することが、経営の安定には大事だと考えた楫取らは、
新井領一郎をアメリカに派遣しました。
その際、新井は、楫取の妻であった寿子から、兄である吉田松陰の形見も短刀を渡されました。
こうして、ペリー来航の際、果たせなかった吉田松陰の想いは、短刀とともにアメリカへと渡ったのです。

楫取の妻、寿子はそのあと間もなく亡くなりましたが、久坂玄瑞の妻であった、妹の文(美和)と再婚しました。

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↑ 素彦も経営に尽力した富岡製糸場、世界遺産というだけあって、見どころがいっぱいありました。

夏休み最後の週末、大子では、百円商店街が、まいんでは「菊池盛昌の世界」が開催されます。
大子町が生んだ素晴らしい芸術家、故菊池盛昌さんを紹介するこの企画、私も出演します。



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