⑥ 「趣味どきっ!」で紹介された月居山-その6-(斉昭の歌碑をみて北嶺へ編) [奥久慈の山]
月居山の記事の6回目です。
まずは、山頂付近のモミジの紅葉をご覧ください。
再び月居城址のある後山に登り、モミジを撮影したり、富士山の姿を確認したあと、
江戸時代の月居峠がある鞍部に戻りました。
↑ 表示は340mとありますが、国土地理院の地図から読み取ると330mほどだと思います。
ここから、後山の山頂までの比高は約70mということになります。
↑ ふもとの山に月居山の山影が映ってました。
この写真からも双耳峰のあらましがみてとれます。
この鞍部を通る街道の北側には、月居山光明寺がありました。
↑ 往時を物語る古い石碑や石仏があります。
↑ 崖の上に建つ観音堂ですが、木が伸びて眼下の眺望が楽しめなくなってしまいました。
↑ さらに上の崖の上に石碑があります。
↑ 水戸藩9代藩主徳川斉昭公の歌碑です。
「尋ぬれば 人は昔の名のみにて 雲井の月ぞ すみ渡りける」
と詠んだという記録が残されています。
↑ 急な石段を登って行くと・・・
↑ 冬は眺望が楽しめるベンチが置かれています。
前山(北嶺)の山頂はこの少し先です。
↑ さらに階段を登ると山王山とも呼ばれる北側の峰の頂上です。
ここからヘビ殻があった下りの階段になります。
ピークで標高を確認してみました。
400mの表示なので、390~400mということになります。
国土地理院の地図からもほぼ400mだと読み取れます。
番組では、423mという表記がされましたが、近くにある立神山の標高と間違えたものと思われます。
前山は後山よりも低いのでせいぜい402~403mでしょう。
鞍部からは、やはり70m近く登ることになります。
いずれにしても、この葉が落ちた冬の時期は、ここからも眺望が望めます。
冬の山歩きがお勧めの奥久慈の山です。
⑦ 「趣味どきっ!」で紹介された月居山-その7-(絶景を眺めながら滝をめざす編)へ続く・・・
まずは、山頂付近のモミジの紅葉をご覧ください。
再び月居城址のある後山に登り、モミジを撮影したり、富士山の姿を確認したあと、
江戸時代の月居峠がある鞍部に戻りました。
↑ 表示は340mとありますが、国土地理院の地図から読み取ると330mほどだと思います。
ここから、後山の山頂までの比高は約70mということになります。
↑ ふもとの山に月居山の山影が映ってました。
この写真からも双耳峰のあらましがみてとれます。
この鞍部を通る街道の北側には、月居山光明寺がありました。
↑ 往時を物語る古い石碑や石仏があります。
↑ 崖の上に建つ観音堂ですが、木が伸びて眼下の眺望が楽しめなくなってしまいました。
↑ さらに上の崖の上に石碑があります。
↑ 水戸藩9代藩主徳川斉昭公の歌碑です。
「尋ぬれば 人は昔の名のみにて 雲井の月ぞ すみ渡りける」
と詠んだという記録が残されています。
↑ 急な石段を登って行くと・・・
↑ 冬は眺望が楽しめるベンチが置かれています。
前山(北嶺)の山頂はこの少し先です。
↑ さらに階段を登ると山王山とも呼ばれる北側の峰の頂上です。
ここからヘビ殻があった下りの階段になります。
ピークで標高を確認してみました。
400mの表示なので、390~400mということになります。
国土地理院の地図からもほぼ400mだと読み取れます。
番組では、423mという表記がされましたが、近くにある立神山の標高と間違えたものと思われます。
前山は後山よりも低いのでせいぜい402~403mでしょう。
鞍部からは、やはり70m近く登ることになります。
いずれにしても、この葉が落ちた冬の時期は、ここからも眺望が望めます。
冬の山歩きがお勧めの奥久慈の山です。
⑦ 「趣味どきっ!」で紹介された月居山-その7-(絶景を眺めながら滝をめざす編)へ続く・・・
2018-11-28 12:00
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