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⑦ 八溝の金が奈良・平安時代、日本の財政に貢献してました! [大子の文化財]

5月21日(火)久しぶりのまとまった雨が降り、二十四時間雨量はなんと、百ミリを超えました。大渇水だった久慈川も大増水し、岩肌ばかりだった袋田の滝も暴れ滝となっています。

今日は金の話です。

大子町には良質な金山があり、古くは、奈良時代から平安時代の資料にも登場し、昭和の時代、戦後も採掘がおこなわれていたのをご存知でしょうか?


八溝山林道へ向かう県道と、八溝山公園線の分岐のところにこんなものがあります。

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↑ 川の向こう側に洞窟が見えます。

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ここは、山頂から南に流れる腐沢にマナイタ沢が合流した沢が八溝川に注ぐあたりです。

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↑ 実は、佐竹時代の金坑道が露出しているのが見える場所です。

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↑ 金を採掘した穴です。

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↑ 近くで見てみましょう!

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↑ 中は水に沈んでいます。かなり深い穴みたいです。

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↑ 旅澤家がある磯神付近の八溝川です。

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↑ 川の真ん中に大きな石があります。

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↑ 実に清らかで美しい八溝川の流れです。 

いまでも、八溝川では砂金をとる人がいます。

趣味で砂金採りをしているようですが、手間を考えると採算には合わないようです。

でも、古代のロマンを感じる、八溝です。

平安時代の遣唐使派遣の費用が不足した際は、八溝山から産出する金を当てたとか、
奈良時代の大仏建立で、大仏を塗った金はこのあたりで採れた金だといわれています。


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