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③偕楽園をみんなで楽しむべし-その3-(ここに来たら、幕末の水戸に思いを巡らすべし編) [水戸]

10月に行った偕楽園の記事の最終回になります。

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↑ こちらが、一般的な来園者が入場する偕楽園東門です。

水戸の中心街から来ると、ここが一番近い入り口になります



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↑ 東門を入って南側を進むと広々とした芝生のエリアがあります。

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↑ 秋には萩を観賞できるエリアです。

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↑ 立派な松もあります。

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↑ そしてこちらは、梅林のエリア・・・実った梅は地元の皆さんが梅もぎりにきて購入したりします。

斉昭は、戦に備えての食料備蓄を考えて植えたそうです。

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↑ 春に先駆け咲く梅が、トンネルになる通路です。

観梅シーズンには全国から観梅に来る観光客でにぎわいます。

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↑ 常磐神社です。

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↑ 東湖神社です

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↑ 水戸藩の歴史が学べる義烈館です。

明治維新は、吉田松陰が水戸藩に来て一ヶ月滞在し、水戸学を学んだことから始まります。

NHKは、いつもここをスルーしていると、地元の人は言ってます。

明治の元勲となった伊藤博文や井上馨がいなければ明治維新は無く、明治時代は違ったものになっていたでしょう。

その、伊藤博文たちを引っ張ったのは、明治時代を見ることが出来なかった久坂玄瑞や高杉晋作です。

その、勤皇志士を育てたのが、吉田松陰です。

吉田松陰は、東北遊学の最初に水戸を訪れ、水戸学の大家たちから尊王攘夷の思想を学びました。

一般的にほとんど知られていませんが、その時、常陸大宮市にも同行の南部藩士江幡五郎の姻族であった、小場村(常陸大宮市小場)の所伊賀右衛門の家に一泊しています。

この時、水戸藩に滞在し、水戸学の大家たちとの交流したことが、吉田松陰の思想を形成する上で重要だっというのは、間違いありません。



近年、幕末水戸藩の資料が旧家から発見され、調査が行われています。

龍泰院関係の文書もあるようです。

水戸に来たら、ぜひ、日本を動かした幕末の歴史に思いをはせてください。

水戸は、この時代、間違いなく日本の魁でした!

茨城県の魅力度ランキングは相変わらず最下位ですが・・・(笑)

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