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天明の大飢饉を引き起こした浅間山の大噴火の爪痕を見る [日本の山]

茨城県梅花流師範会の研修旅行で、群馬県方面を訪ねた時の記事の一回目になります。
二日目に見学した浅間山の鬼押し出しが、編集の都合で第一弾になります。

宿泊した草津温泉から中型バスで嬬恋村の鬼押し出しへと向かいます。

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↑ この日は朝から澄みわたり、浅間山の勇姿がきれいに見えました。
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↑ 鬼押し出しからは、間近に噴煙を上げる浅間山が見えます。

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 有料施設、鬼押し出し園の上の方にある建の東叡山寛永寺別院浅間山観音堂をめざします。

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↑ この日は、かなりの噴煙が上がって、東の山すそまで白くたなびいていました。

噴火口の近くにある千トン岩と呼ばれる巨大な噴石も見えます。

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↑ 天明3年の浅間山大噴火の犠牲者を弔うため、昭和33年に建てられた寛永寺別院観音堂をお参りしました。

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↑ 浅間山と寛永寺別院観音堂です。

天明3年の浅間山の大噴火も天明の大飢饉の要因の一つではありますが、天明の大飢饉は天明2年から始まっています。岩木山の噴火や、アイスランドのラキ火山の噴火など複合的な要因が重なり、世界的な異常気象になったようです。
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↑ 鬼押し出しの中の通路を回っておりていきます。

鬼押し出しには、浅間山の噴火で噴出した溶岩、噴出物が屹立しています。

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↑ 昨夜泊まった草津温泉の近くにある本白根山(もとしらねさん)が見えます。

この山も、平成30年1月に起きた噴火で犠牲者を出しています。

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↑ 下におりてきて展望台から鬼押し出しと噴煙を上げる浅間山をあらためて眺めました。

このあと、軽井沢で昼食をとり、散策し、帰路につきました。

横川サービスエリアで峠の釜めしをお土産に買い、
高速道路を走っているときも、遠くに浅間山がくっきりと見えました。

帰りのバスの中では、2時間近く、梅花流詠讃歌を休みなしで、唱え続けました。

けっこう良い勉強になりました。最後に、添乗員さんのリクエストで、「まごころに生きる」をみんなで唱えました。

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次記事では、この浅間山の大噴火と高崎だるまの関係をご紹介します。



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コメント 2

旅爺さん

浅間山や草津温泉に鬼押し出しなど懐かしいです。
浅間山下の松林は大部枯れてましたね。
by 旅爺さん (2019-11-24 10:15) 

袋田の住職

旅爺さん、カラマツの黄葉が良い感じでした。
by 袋田の住職 (2019-11-24 12:32) 

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