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高崎の達磨寺のだるまはこうして生まれた! [信仰]

茨城県梅花流師範会の群馬県への研修旅行、天候に恵まれ実に密度の濃い研修ができました。

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↑ 丘陵の上に高崎観音が見えますが、今回、向かったのは観音様でなく、達磨様・・・


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↑ 霊符堂には、ダルマさんがたくさん納められています。

中で達磨大師御和讃と達磨大師御詠歌(廓然)を献詠しました。

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↑ こちら趣のある観音堂です。

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↑ 本堂でもある霊符堂です。本尊である北辰鎮宅霊符尊を祀るお堂で、ここでご祈祷を受けました。

それでは、達磨寺と高崎ダルマの由来をご紹介します。

天明三年の浅間山の大噴火は、鬼押し出しの奇景を生み出しましたが、その時、上野国は厚い灰に覆われてしまったそうです。

高崎付近にも5~10cmの火山灰が積もりました。

雪は春になれば融けるが、火山灰は取り除かないと作物を植えつけることが出来ない。
天明の大飢饉と呼ばれたこの惨状を見かねた達磨寺の九代目東嶽和尚は、
生活の苦しかった付近の農民の窮状を救おうと、開山心越禅師の描かれた「一筆だるま坐禅像」をもとに
木型を彫り、張子のだるまの作り方を農家の人に伝授しました。

それを、正月の達磨寺の大祭の時に、売られるようになったのが高崎縁起だるまの始まりだそうです。

達磨寺は、水戸から東皐心越禅師を開山様に拝招して建てられた禅宗寿昌派のお寺で、現在は黄檗宗になっています。

このブログで何度も紹介している水戸の祇園寺と関係があるのは知っていましたが、
高崎だるまが、心越禅師と関係があり、浅間山の噴火と天明の大飢饉からの復興に寄与していたのは、
ここをお参りして初めて知りました。

そして、この時天明の大噴火では、もう一つの悲劇が起こりました。

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↑ 嬬恋村を流れる吾妻川です。

今回の台風19号の豪雨でも洪水を起こしましたが、

天明の噴火の時にも、噴出物が川をせき止め天然ダムができ、そのダムが崩壊した時、下流域を大量の泥水が襲いました。

泥流は吾妻川から利根川に流れ、前橋付近など利根川流域に大きな被害をもたらしたそうです。

そして、死体が、利根川から江戸川へと流され打ち上げられたという記録があります。

その時の死者は1600名余といわれています。

泥流は銚子まで到達し、河底が上がったことにより、利根川は少しの雨でも洪水を起こすようになってしまったそうです。

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嬬恋村を流れた吾妻川は、八ツ場ダムへと流れ込みます。

色が変わっているところが、先月の台風の時の満水になったという水位です。

現在は、かなり水位が下げられています。

次記事で、八ツ場ダムの現在の様子を詳しくご報告します。


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