水戸城大手門が復元されました [日本の城]
先日、弘道館と水戸城を見学した時の記事です。
今年水戸城大手門が再建されました。城好きの住職ですのですぐにでも見にいきたかったのですが、
新型コロナの影響で遠出ができず、会合も無くなり水戸へ行く機会もあまりなくなりました。
やっと、9月に入り、時間に余裕が出たので水戸まで出かけてきました。
↑ 三の丸の弘道館側から見た大手橋と大手門です。
↑ 水戸城二の丸の西側入り口に立つ大きな城門です。
↑ 大手門の城門の袖壁には瓦が埋め込まれています。
これは、発掘調査の過程で発見され、再建する際に再現されました。
↑ 大手門の内側です。
↑ 水戸らしく、武骨な感じで、太い材料が使われています。
↑ ケヤキの柱や扉の板も太さがものすごいです。
↑ 二の丸大手門側から、三の丸弘道館側をみています。
↑ 三の丸と二の丸の間には、深い空堀と高い土塁で仕切られています。
下を走っているのは、国道6線の旧道です。
二の丸には、水戸三高と水戸二中などがあります。
白壁で囲まれ、水戸城内らしい雰囲気に整備されました。
二の丸を東へ進むと、水郡線が通る切通しがあり、その東が本丸です。
二の丸には、大日本史の編纂が行われた彰考館や、主な御殿があったようです。
本丸にはあまり建物が無かったみたいです。
↑ 本丸の入り口に立つ薬医門です。
御三階櫓などの城郭建造物は、空襲で焼け落ちてしまったので、水戸城唯一の現存建築物です。
薬医門は祇園寺に移築されていたので、焼失を免れました。
後に、祇園寺さんの好意で、現在地に戻されました。
薬医門は、水戸一高の入り口の横にあり、見学は可能です。
今年水戸城大手門が再建されました。城好きの住職ですのですぐにでも見にいきたかったのですが、
新型コロナの影響で遠出ができず、会合も無くなり水戸へ行く機会もあまりなくなりました。
やっと、9月に入り、時間に余裕が出たので水戸まで出かけてきました。
↑ 三の丸の弘道館側から見た大手橋と大手門です。
↑ 水戸城二の丸の西側入り口に立つ大きな城門です。
↑ 大手門の城門の袖壁には瓦が埋め込まれています。
これは、発掘調査の過程で発見され、再建する際に再現されました。
↑ 大手門の内側です。
↑ 水戸らしく、武骨な感じで、太い材料が使われています。
↑ ケヤキの柱や扉の板も太さがものすごいです。
↑ 二の丸大手門側から、三の丸弘道館側をみています。
↑ 三の丸と二の丸の間には、深い空堀と高い土塁で仕切られています。
下を走っているのは、国道6線の旧道です。
二の丸には、水戸三高と水戸二中などがあります。
白壁で囲まれ、水戸城内らしい雰囲気に整備されました。
二の丸を東へ進むと、水郡線が通る切通しがあり、その東が本丸です。
二の丸には、大日本史の編纂が行われた彰考館や、主な御殿があったようです。
本丸にはあまり建物が無かったみたいです。
↑ 本丸の入り口に立つ薬医門です。
御三階櫓などの城郭建造物は、空襲で焼け落ちてしまったので、水戸城唯一の現存建築物です。
薬医門は祇園寺に移築されていたので、焼失を免れました。
後に、祇園寺さんの好意で、現在地に戻されました。
薬医門は、水戸一高の入り口の横にあり、見学は可能です。
2020-09-11 05:00
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