⑤ 袋田の山歩き(月居城址から光明寺跡へ編) [奥久慈の山]
新緑の山歩きを紹介しているシリーズ、月居城跡へと向かいます。
その前に、もう少し絶景の写真をご覧ください。
↑ 左下に川西地区、袋田小学校があります。その右上は南田気地区、右の高台には油研工業袋田工場が見えます。
その上は、北田気地区、右奥に旧大子二高ここで、大子町役場新庁舎の工事が進められています。
↑ こちらは、下津原地区、佐竹時代の金山がありました。
月居城の支城の山城、要害なども置かれ、野内氏の家臣もこのあたりに住んでいました。
↑ 月居城の南側の岩稜は物見台の役目もあったようです。
↑ 岩稜から岩場の急斜面を降りてロングトレイルのコースに戻ります・
↑ 月居山頂上部の平坦地にあった本廓と南の岩稜はこの深い堀切で区切られていました。
↑ 急斜面を登りかえすと、三段にならされた広い月居城址になります。
↑ 月居城址がロングトレイルの(C-23)ポイントになります。
↑ 城址には、戦国時代の佐竹家臣、保内郷(現在の大子町)を治めた野内大膳の末裔が建てた石碑があります。
↑ 山頂からは、急斜面を降りていきます。
江戸時代の街道が通っていた鞍部に降りてきました。
↑ 光明寺跡に立つ大銀杏、以前雷で上部が倒壊しましたが、また、一部倒壊したようです。
ただ、倒れた太い枝からは、緑色の葉が出ていました。
銀杏の生命力はすごいです。
ちなみに、光明寺の創建は807年とされてますので、1200年以上の歴史があります。
現在は、廃寺となり、観音堂と鐘楼、山門などが再建されています。
⑥ 袋田の山歩き(月居観音から北嶺を越えてへ編)へ続く・・・
その前に、もう少し絶景の写真をご覧ください。
↑ 左下に川西地区、袋田小学校があります。その右上は南田気地区、右の高台には油研工業袋田工場が見えます。
その上は、北田気地区、右奥に旧大子二高ここで、大子町役場新庁舎の工事が進められています。
↑ こちらは、下津原地区、佐竹時代の金山がありました。
月居城の支城の山城、要害なども置かれ、野内氏の家臣もこのあたりに住んでいました。
↑ 月居城の南側の岩稜は物見台の役目もあったようです。
↑ 岩稜から岩場の急斜面を降りてロングトレイルのコースに戻ります・
↑ 月居山頂上部の平坦地にあった本廓と南の岩稜はこの深い堀切で区切られていました。
↑ 急斜面を登りかえすと、三段にならされた広い月居城址になります。
↑ 月居城址がロングトレイルの(C-23)ポイントになります。
↑ 城址には、戦国時代の佐竹家臣、保内郷(現在の大子町)を治めた野内大膳の末裔が建てた石碑があります。
↑ 山頂からは、急斜面を降りていきます。
江戸時代の街道が通っていた鞍部に降りてきました。
↑ 光明寺跡に立つ大銀杏、以前雷で上部が倒壊しましたが、また、一部倒壊したようです。
ただ、倒れた太い枝からは、緑色の葉が出ていました。
銀杏の生命力はすごいです。
ちなみに、光明寺の創建は807年とされてますので、1200年以上の歴史があります。
現在は、廃寺となり、観音堂と鐘楼、山門などが再建されています。
⑥ 袋田の山歩き(月居観音から北嶺を越えてへ編)へ続く・・・
2021-05-10 12:00
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