スポーツの力 [スポーツ]
8月24日(火) 東京2020パラリンピックが開幕しました。
オリンピックの開会式、閉会式も素晴らしかったですが、パラリンピックの開会式も感動的でした。
↑ 開会式で、デコトラに乗って登場した、世界的ギタリストの布袋寅泰さんをリスペクトして、
うちの布袋様をご覧いただきます。
パラリンピックの開会を祝い、無事円成を祈念しました。
開会式で演じられた物語の主人公となる片翼の小さな飛行機役を演じたのは、都内の中学校に通う13歳の和合由依さん。2月に行われた公募オーディションで、満場一致で主人公役へ抜てきされたそうです。てっきり、劇団員か子役の俳優でも使ったのかと思ったら、一般公募だったそうです。
先天性の羊膜索症候群と先天性多関節拘縮症候群による上肢下肢機能障を持つ和合さん。左手があまり使えず、右手だけがよく使える状態である自身と、片翼の飛行機という役柄を重ねながらも「『片翼の小さな飛行機』には飛ぶ勇気がないのですが、私は“とりあえずやってみよう”というタイプなのでそこは違うと感じています」と、演技は未経験ながら持ち前の好奇心を武器に臨んだとのことでした。
さて、日本選手団の旗手として、谷真海さん(旧姓佐藤)が登場しました。
選手として、参加できて本当によかったと思います。
それでは、8年前、東京にオリンピックとパラリンピックを誘致した時のプレゼンテーションのあいさつの全文を今一度ご覧いただきたいと思います。
「会長そしてIOCの委員の皆様
佐藤真海です。
私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。それは、2020年東京大会が世界に広めようと決意している価値です。
本日は、そのグローバルなビジョンについてご説明いたします。
招致委員会理事長、竹田恆和。
内閣総理大臣、安倍晋三。
東京都知事、猪瀬直樹。
招致委員会副理事長兼専務理事、水野正人。
招致アンバサダー、滝川クリステル。
そして、過去2大会での銀メダリストである太田雄貴選手です。
私自身の話に戻らせていただきたいと思います。
19歳の時に私の人生は一変しました。私は陸上選手で、水泳もしていました。また、チアリーダーでもありました。そして、初めて足首に痛みを感じてからたった数週間のうちに、骨肉種により足を失ってしまいました。
もちろん、それは過酷なことで、絶望の淵に沈みました。でもそれは大学に戻り、陸上に取り組むまでのことでした。
私は目標を決め、それを越えることに喜びを感じ、新しい自信が生まれました。そして何より、私にとって大切なのは…私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました。
私はアテネと北京のパラリンピック大会に出場しました。スポーツの力に感動させられた私は、恵まれていると感じました。2012年ロンドン大会も楽しみにしていました。
しかし、2011年3月11日、津波が私の故郷の町を襲いました。
6日もの間、私は自分の家族がまだ無事でいるかどうかわかりませんでした。そして家族を見つけ出したとき、自分の個人的な幸せなど、国民の深い悲しみとは比べものにもなりませんでした。
私はいろいろな学校からメッセージを集めて故郷に持ち帰り…私自身の経験を人々に話しました。食糧も持って行きました。ほかのアスリートたちも同じことをしました。私達はいっしょになってスポーツ活動を準備して、自信を取り戻すお手伝いをしました。
そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。
新たな夢と笑顔を育む力。
希望をもたらす力。人々を結びつける力。
200人を超えるアスリートたちが、日本そして世界から、被災地におよそ1,000回も足を運びながら50,000人以上の子どもたちをインスパイアしています。
私達が目にしたものは、かつて日本ではみられなかったオリンピックの価値が及ぼす力です。そして、日本が目の当たりにしたのは、これらの貴重な価値…卓越、友情、尊敬…が、言葉以上の大きな力をもつということです。」
さて、みなさん、佐藤真海さんが行った、東京オリンピック・パラリンピックの最終プレゼンテーションのこのスピーチを覚えてましたか?
私は、この時、この言葉を聴いて、ぜひ、東京2020オリンピック・パラリンピックを誘致を成功させたいと思いました。
そして、決まった後も、無事に開催されるように祈ってきました。
今も、アスリートを応援する気持ちに変わりはありません。
オリンピックの開会式、閉会式も素晴らしかったですが、パラリンピックの開会式も感動的でした。
↑ 開会式で、デコトラに乗って登場した、世界的ギタリストの布袋寅泰さんをリスペクトして、
うちの布袋様をご覧いただきます。
パラリンピックの開会を祝い、無事円成を祈念しました。
開会式で演じられた物語の主人公となる片翼の小さな飛行機役を演じたのは、都内の中学校に通う13歳の和合由依さん。2月に行われた公募オーディションで、満場一致で主人公役へ抜てきされたそうです。てっきり、劇団員か子役の俳優でも使ったのかと思ったら、一般公募だったそうです。
先天性の羊膜索症候群と先天性多関節拘縮症候群による上肢下肢機能障を持つ和合さん。左手があまり使えず、右手だけがよく使える状態である自身と、片翼の飛行機という役柄を重ねながらも「『片翼の小さな飛行機』には飛ぶ勇気がないのですが、私は“とりあえずやってみよう”というタイプなのでそこは違うと感じています」と、演技は未経験ながら持ち前の好奇心を武器に臨んだとのことでした。
さて、日本選手団の旗手として、谷真海さん(旧姓佐藤)が登場しました。
選手として、参加できて本当によかったと思います。
それでは、8年前、東京にオリンピックとパラリンピックを誘致した時のプレゼンテーションのあいさつの全文を今一度ご覧いただきたいと思います。
「会長そしてIOCの委員の皆様
佐藤真海です。
私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。それは、2020年東京大会が世界に広めようと決意している価値です。
本日は、そのグローバルなビジョンについてご説明いたします。
招致委員会理事長、竹田恆和。
内閣総理大臣、安倍晋三。
東京都知事、猪瀬直樹。
招致委員会副理事長兼専務理事、水野正人。
招致アンバサダー、滝川クリステル。
そして、過去2大会での銀メダリストである太田雄貴選手です。
私自身の話に戻らせていただきたいと思います。
19歳の時に私の人生は一変しました。私は陸上選手で、水泳もしていました。また、チアリーダーでもありました。そして、初めて足首に痛みを感じてからたった数週間のうちに、骨肉種により足を失ってしまいました。
もちろん、それは過酷なことで、絶望の淵に沈みました。でもそれは大学に戻り、陸上に取り組むまでのことでした。
私は目標を決め、それを越えることに喜びを感じ、新しい自信が生まれました。そして何より、私にとって大切なのは…私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました。
私はアテネと北京のパラリンピック大会に出場しました。スポーツの力に感動させられた私は、恵まれていると感じました。2012年ロンドン大会も楽しみにしていました。
しかし、2011年3月11日、津波が私の故郷の町を襲いました。
6日もの間、私は自分の家族がまだ無事でいるかどうかわかりませんでした。そして家族を見つけ出したとき、自分の個人的な幸せなど、国民の深い悲しみとは比べものにもなりませんでした。
私はいろいろな学校からメッセージを集めて故郷に持ち帰り…私自身の経験を人々に話しました。食糧も持って行きました。ほかのアスリートたちも同じことをしました。私達はいっしょになってスポーツ活動を準備して、自信を取り戻すお手伝いをしました。
そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。
新たな夢と笑顔を育む力。
希望をもたらす力。人々を結びつける力。
200人を超えるアスリートたちが、日本そして世界から、被災地におよそ1,000回も足を運びながら50,000人以上の子どもたちをインスパイアしています。
私達が目にしたものは、かつて日本ではみられなかったオリンピックの価値が及ぼす力です。そして、日本が目の当たりにしたのは、これらの貴重な価値…卓越、友情、尊敬…が、言葉以上の大きな力をもつということです。」
さて、みなさん、佐藤真海さんが行った、東京オリンピック・パラリンピックの最終プレゼンテーションのこのスピーチを覚えてましたか?
私は、この時、この言葉を聴いて、ぜひ、東京2020オリンピック・パラリンピックを誘致を成功させたいと思いました。
そして、決まった後も、無事に開催されるように祈ってきました。
今も、アスリートを応援する気持ちに変わりはありません。
2021-08-25 12:35
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