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本堂の中を片付けていたらお宝が! [龍泰院]

5月16日(月)、朝から小雨が降っています。今日も、本堂正面入口の工事を行っています。

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↑ 夕方までの作業で蹴上げの板を据え付け、ケヤキの踏面板をきれいに削ってもらいました。

これだけの長さのケヤキの板は、今では手に入らないので、削ってもらって使うことに・・・

来週は、本堂内陣の工事に入ります。

そこで、一日がかりで内陣と奥の物入の片付けをし、備品などを邪魔にならないところへ移動しました。



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↑ 祖父の住職辞令が出てきました。

祖父出村信界は住職になった時は、武生の実家の姓である瀬戸信界を名乗っていたようです。

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現在、久慈郡は曹洞宗茨城県宗務所第二教区ですが、戦前は第四教区だったみたいです。

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父と母の仏前結婚式の誓約文も出てきました。父は、世田谷学園を卒業した後、横浜の西有寺で修行していましたが、昭和19年4月に駒澤大学に入学していたことが、当時の書類からわかりました。父は、昭和19年秋に徴兵検査を受け、20年3月に宇都宮の連隊に入営し、その後、中国へ派兵されています。
終戦後は昭和20年のうちに引き揚げてきましたが、感染症で体調を崩し、東海村の晴嵐荘で入院加療しました。結婚が遅れたのはそういうこともあったようです。

祖父宛の手紙やはがきもたくさん出てきました。

祖父宛ての手紙には、永源寺の中村大榮師からのものがたくさんありました。当時は祖父が永源寺の兼務住職をしてました。大榮師は駒澤大学での生活の様子を手紙で報告していたようです。永源寺住職になって間もなく戦地へ赴き戦死されてしまいました。祖父は再び永源寺兼務住職となり、大信老師を後任住職として育てました。

信書類は、本堂の物入に戻し、古い書籍は、旧JA加工所の倉庫に運ぶ予定です。

布袋様の部屋も大掃除し、内陣もきれいに片づけました。

掛軸を整理していたら、長いこと探していた、13世霊国徳英大和尚の真筆が見つかりました。

250年前の掛け軸です。修繕して表具したいと思います。

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norisuke

貴重な掛け軸が見つかり、大事にしていきたいですね。
昔の手紙読むのも、思いをはせて良いものでしょう。
by norisuke (2022-05-17 16:58) 

袋田の住職

norisukeさん メールだと次の世代まで伝わりませんが、手紙だと孫子の代まで伝わりますね。
特に、戦時中の手紙は重いです。


by 袋田の住職 (2022-05-19 15:21) 

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