③ホテル観洋に泊まり、語り部バスに乗って研修しました。 [防災!復興祈願]
8月28~29日の教育委員の視察研修で南三陸と石巻へ行った時の記事の続編です。
↑ 28日の夜半、志津川湾に月が輝いています。
朝は、午前4時45分にかってに起床し、日の出を撮影、
その後、朝風呂に入り、ビュッフェスタイルの朝食を頂き、
「あまちゃん」を視て、お土産を買って、午前8時45分出発ので語り部バスを待ちました。
8時40分に語り部バスに乗り込みます。
↑ 観洋の従業員の方が語り部として、被災地を案内してくれます。
観洋に泊まったのは三回目ですが、語り部バスを利用したのは初めてです。
↑ 最初にバスは戸倉地区へ向かいました。
右奥に写っている高台に戸倉中学校がありますが、この校舎の一階まで津波が押し寄せてきたそうです。
平地にあった戸倉小学校は、屋根の上まで水をかぶりました。
↑ 3月11日に戸倉小学校の児童と先生が避難し、その夜を過ごしたのはこの高台だそうです。
語り部さんの説明によると、3月9日の大きな地震で、避難した時、職員会議で検討し、学校の屋上でなく、ここに、避難することに決めていたそうです。
↑ 大型ダンプや重機が動いて、高い防潮堤が造成されています。
志津川には比較的平らな高台があるので、役場などの公共機関はそこにプレハブで建てられて業務を行っています。
↑ その高台にある、幼稚園はサッカー日本代表の長谷部選手が書いた本の印税で建てられたそうです。
↑ 震災前中心街だったところは、かさ上げ工事が始まっています。
↑ ぽつんと残された防災対策庁舎は、毎日大勢の人が来て、ここで手を合わせています。
ここに、かけられている服の持ち主のお話を語り部さんから聞きました。
今もその人を慕う子どもたちがここを訪れ、試合の結果などを報告していくそうです。
あまり報道されていない話でしたが、胸を打たれました。
ブログで、この時聞いたいろいろな話を書こうかと思いましたが、まとまりません。
南三陸ホテル観洋で運行している語り部バスに乗ってお聞きください。
観洋では、震災後地域復興のためにいろいろな活動をしていますが、
特質すべきこととして、震災後、地元で働きたいという若い人を、グループ内企業で新規採用し、雇用の場を提供していることです。
おかみさんの姿に感動し、ここで働いているという若い女性もいました。
前記事でもかきましたが、産業の復興、雇用の確保が今後の課題かと思います。
その意味でも、南三陸など被災地を訪れることは震災の復興に向けて意義あることだと思いました。
今日の最後は、29日、日の出前の志津川湾・・・
↑ こちら、空と湾内が赤く染まってきました。
↑ 28日の夜半、志津川湾に月が輝いています。
朝は、午前4時45分にかってに起床し、日の出を撮影、
その後、朝風呂に入り、ビュッフェスタイルの朝食を頂き、
「あまちゃん」を視て、お土産を買って、午前8時45分出発ので語り部バスを待ちました。
8時40分に語り部バスに乗り込みます。
↑ 観洋の従業員の方が語り部として、被災地を案内してくれます。
観洋に泊まったのは三回目ですが、語り部バスを利用したのは初めてです。
↑ 最初にバスは戸倉地区へ向かいました。
右奥に写っている高台に戸倉中学校がありますが、この校舎の一階まで津波が押し寄せてきたそうです。
平地にあった戸倉小学校は、屋根の上まで水をかぶりました。
↑ 3月11日に戸倉小学校の児童と先生が避難し、その夜を過ごしたのはこの高台だそうです。
語り部さんの説明によると、3月9日の大きな地震で、避難した時、職員会議で検討し、学校の屋上でなく、ここに、避難することに決めていたそうです。
↑ 大型ダンプや重機が動いて、高い防潮堤が造成されています。
志津川には比較的平らな高台があるので、役場などの公共機関はそこにプレハブで建てられて業務を行っています。
↑ その高台にある、幼稚園はサッカー日本代表の長谷部選手が書いた本の印税で建てられたそうです。
↑ 震災前中心街だったところは、かさ上げ工事が始まっています。
↑ ぽつんと残された防災対策庁舎は、毎日大勢の人が来て、ここで手を合わせています。
ここに、かけられている服の持ち主のお話を語り部さんから聞きました。
今もその人を慕う子どもたちがここを訪れ、試合の結果などを報告していくそうです。
あまり報道されていない話でしたが、胸を打たれました。
ブログで、この時聞いたいろいろな話を書こうかと思いましたが、まとまりません。
南三陸ホテル観洋で運行している語り部バスに乗ってお聞きください。
観洋では、震災後地域復興のためにいろいろな活動をしていますが、
特質すべきこととして、震災後、地元で働きたいという若い人を、グループ内企業で新規採用し、雇用の場を提供していることです。
おかみさんの姿に感動し、ここで働いているという若い女性もいました。
前記事でもかきましたが、産業の復興、雇用の確保が今後の課題かと思います。
その意味でも、南三陸など被災地を訪れることは震災の復興に向けて意義あることだと思いました。
今日の最後は、29日、日の出前の志津川湾・・・
↑ こちら、空と湾内が赤く染まってきました。
2013-09-02 07:04
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コメント(11)
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凛とした綺麗な月夜ですね~!!(^o^)v
by macinu (2013-09-02 10:25)
震災後、営業再会したこのホテルに泊まりに行きました。
涙でハインダーが曇って庁舎の写真は撮らずに帰りました。
夏草が生えて少しだけ悲惨さが隠されているように感じます。
いろいろな事が少しでも早く元に戻ればいいですねぇ。
by 山子路爺 (2013-09-02 12:40)
あぁ~!もう大きな地震はイヤですよね。
by shiho (2013-09-02 12:46)
日の出前の志津川湾、とても綺麗ですね。
震災の傷跡、月日と共に記憶から薄れてしまいがちですが、今回の写真を拝見させていただきあらためて早い復興をと思いました。
長谷部選手、偉いですね!
by まー坊 (2013-09-02 18:28)
お月様といい、湾内を赤く染める夕焼けといい、自然に癒され、自然に崩壊させられ・・・人間のせいなのでしょうか?
でも、生きなければいけない、人だから!
今夜、Mr NICK VUJICICさんという身障者の講演を聞いてきました、人はすばらしい、と再確認してきました。
by yamaoji (2013-09-03 02:57)
「あまちゃん」見逃せません。
by hanamura (2013-09-03 05:13)
あまちゃん311に遭遇しましたね。
by Silvermac (2013-09-03 06:04)
macinu さん 夜の海を照らす月は幻想的です。
山子路爺 さん 南三陸を訪れるたびに復興へと向かっている様子は感じられますが、先は長いですね。今はお参りできるようになってますが、最初に行った時は、パトカーが巡回していて車を止めてお参りできず、車の中から手を合わせました。
shiho さん 巨大地震が日本を再び襲うのは、30年後かもしれないし、3年後かも知れないし、3日後かもしれません。いずれにしても、日本に生きている限り大地震に遭遇するということです。その対策は立てておきましょう。未来の命を守る。そのためにも伝承は大切です。
まー坊 さん プレハブの建物が並ぶ中で幼稚園だけは木をたくさん使って作られていました。サッカー選手の被災地支援は立派です。
yamaoji さん 夕焼けでなく朝焼けです。 人間はなぜ生きるのか?哲学的で宗教的な問題です。
立派な人の話を聴くことは大事ですね。
hanamura さん 研修視察旅行中も見ることができました。
Silvermac さん 北三陸市にも津波が押し寄せ、大吉さんとゆいちゃんが乗った列車も緊急停止しましたね。
by 袋田の住職 (2013-09-03 07:01)
被災地に度々お出かけになっておられる住職も、語り部としてブログ上でも語ってください。
by 斗夢 (2013-09-03 08:17)
庁舎前 こみ上げてくるものがあります
合掌
あの日から 失ったものは 多大なもので
心の傷は 癒されませんが・・・・
それでも 生きていかなければなりません
こうして 忘れかけている 光景を 目にすると
精一杯生きなくちゃと あらためて 思いました
語り部バス 素敵な活動ですね 語り継がれなければ・・・・・
by もーもー (2013-09-03 09:30)
最後の穏やかな海の写真を見ると、
大震災の日に荒れ狂った事が信じられない気持ちになります。
穏やかさを取り戻した海に向かって「海の馬鹿野郎~!」と叫んだ人の気持ちが
痛いほどよく分かります。
被災地の応援を兼ねたご視察、お疲れ様でした。
by 青い鳥 (2013-09-03 11:08)