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梅花流名誉師範権藤円立先生と野口雨情の交流についてまとめてみました。 [大好き!いばらき]

今日は、9月6日に見学してきた野口雨情記念館などでの取材をもとにした記事です。

10年前に梅花流特派師範に就任した時、茨城県出身の童謡作家野口雨情と梅花流の創立と発展に功績があった権藤円立先生の間に交流があったということを知り、巡回先でもその話を何度かさせて頂いております。

ここで、二人の交流についてまとめてみたいと思います。

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↑ 野口雨情が生まれた建物です。

現在、野口雨情生家・資料館として一部公開されています。


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↑ 海岸沿いを走る国道6号線に面してます。

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↑ 門をくぐって中に入ると・・・

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↑ 中は資料館になっています。

平成23年3月11日の巨大地震の津波は国道を越え、生家は床上浸水したものの、
資料館の方は床下浸水で済んだので、貴重な資料は守られたとのことです。

生家の瓦は地震の揺れで崩れてしまい、現在修復工事中でした。

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↑ こちらは、生家の近くにある野口雨情記念館です。

人が近づくと童謡「シャボン玉」のメロディが流れ、シャボン玉が舞い上がります。

今回この中で、権藤円立先生と野口雨情の写真を見ることができました。

野口雨情は、1882(明治15)年磯原(北茨城市)で野口家の長男として生まれました。
実家は、楠正成の弟正季の流れをくむ旧家で、伯父にあたる人は衆議院議員をしてました。
その伯父をたより、15歳の時に上京、東京の学校で学びました。
北海道、水戸、いわきなどを転々とし、北海道では石川啄木と交流がありました。

時代の変遷により家業は傾くものの、新しい事業に取り組んだり詩作が認められるようになり、編集などに携わるようになりました。

そうした中、1922(大正11)年、大阪で藤井清水(ふじいきよみ)、権藤円立(ごんどうえんりゅう)、と出会い「楽浪園」の同人となりました。

一方、権藤円立は1891(明治24)年、宮崎県延岡市の真宗大谷派の光勝寺に生まれました。
人生の大きな転機となったのが、この野口雨情との出会いだったといえるのではないでしょうか。

藤井清水の勧めで東京に活動拠点を移し、1924年には雨情の媒酌により花代と結婚しました。
東京音楽学校時代からの親友である藤井清水(作曲家)も大正15年には吉祥寺に転居して、
藤井清水の伴奏で権藤円立が歌い野口雨情が講演をする演奏旅行は全国に及び、
「楽浪園の三羽烏」と呼ばれたそうです。

権藤円立先生は、昭和28年2月に野村秀明師に出会い、昭和27年に創立したばかりの梅花流詠讃歌に関わるようになりました。
同年7月に三宝御和讃、無常御和讃を作曲、梅花流顧問に委嘱され、その後も次々と梅花流の曲を作曲され梅花流のその後の発展に大きな功績を残しました。

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↑ 野口雨情の生家近くの磯原海岸から見た現在の二つ島です。

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↑ 3月11日の巨大地震と大津波で島の上部を覆っていた樹木が岩ごと崩れ落ちてしまいました。

以前の姿はこちらでご覧ください。


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shiho

野口雨情って茨城出身だったんですね。
今度、行ってみようと思います。
by shiho (2012-09-12 10:38) 

旅爺さん

場所は何処かと探してみて分かりました。
二つ島は能登にある軍艦島にそっくりです。
by 旅爺さん (2012-09-12 13:18) 

袋田の住職

shiho さん そうなんですよ。郷土の誇りです。

旅爺さん 北茨城インターから一本道で海岸線に出たところです。

by 袋田の住職 (2012-09-12 14:06) 

momoe

風光明媚な磯原、津波の被害にあい
二つ島も変わり果てた姿になりました。
ここで夜、羽を休めていた鵜はどうなったのでしょう。
by momoe (2012-09-12 16:18) 

袋田の住職

momoe さん この写真には写っていませんが、ウミウが岩場の上にたくさんとまっていました。木のない二つ島は、以前の姿を見ている我々からは、なんか哀れな感じがしてしまいます。
by 袋田の住職 (2012-09-12 16:25) 

ミッチー

野口雨情や中山新平懐かしい方ですね。小学生のころ戦前我が家にうたのほんがありました。
by ミッチー (2012-09-12 16:44) 

mimimomo

こんばんは^^
野口雨情の生家、立派な建物ですね。
二つ島というのですから島なんですね^^ 岩かと思いました(--ゞ
by mimimomo (2012-09-12 18:10) 

Silvermac

岩の上部を覆っていた土が震動で落ちたのでしょうね。
Before、Afterでよく分かります。
by Silvermac (2012-09-12 21:08) 

きまじめさん

子供のころ口ずさんだ童謡の数々沢山作られていますよね。
藤原義江の歌う「波浮の港」がよくラジオから流れていました。
by きまじめさん (2012-09-13 00:22) 

袋田の住職

ミッチー さん 日本人の心に染みついた音楽ですね。

mimimomo さん 日本の領海の起点になる島だと思います。
こういう島を大事にしていきたいです。

Silvermac さん 以前の姿が印象深かったので今の姿は正直しっくりきません。

きまじめさん 童謡だけでなく、いろいろなジャンルの曲に詩を書いてますね。
by 袋田の住職 (2012-09-13 07:44) 

たいへー

随分ふさふさだったんですねぇ・・・^^;
by たいへー (2012-09-13 08:32) 

もーもー

立派な資料館があるんですね
  この間通ったばかりでした・・・今度行きたいです
シャボン玉が出てくるなんて  すごいですね・・・・
by もーもー (2012-09-13 08:50) 

koto

シャボン玉は悲しい歌ですよね。
雨情という名前も哀愁を感じます。
by koto (2012-09-13 09:22) 

Michikusa

「シャボン玉」は幼くして亡くなった子への鎮魂歌という説もあるようですが、信憑性は疑問のようですね。
その説を知らなくても、哀しい感じがします。
by Michikusa (2012-09-13 09:35) 

駒

はじめまして
大子町出身の者です
先日帰省しましたが、夜はだいぶ過ごしやすくなりましたね
稲刈りの様子や赤とんぼが飛んでいるのを見て、秋の訪れを感じました
野口雨情資料館 今後行ってみようと思います
by 駒 (2012-09-13 10:09) 

まゆまき工房

1日遅れで行きそこないました・・。
昨日、海岸線を走ろうかと見たのですが。
野口雨情記念館、また行ってみたいと思います。
by まゆまき工房 (2012-09-13 10:10) 

青い鳥

二つ島のあまりの変わりように涙が止まりませんでした。
ここに再び緑を見るのは何年後になるでしょう?
by 青い鳥 (2012-09-13 11:31) 

袋田の住職

たいへー さん 私と同じ丸坊主に・・・

もーもー さん ぜひ立ち寄って見てください。
生家・資料館では案内していただけます。

koto さん 激動の人生を経験したので、日本人の情緒に深く訴える詞が生まれたのでしょうね。

Michikusa さん 幼くして亡くなった子供さんへの想いが詞になったと聞いてますが・・・

駒 さん 初めまして、うちの回りでも稲刈りが進み、おだ掛けされ天日乾燥されている稲の姿が見られます。

まゆまき工房 さん この日は、湿った空気が海から入り、海岸沿いは霞んでました。

青い鳥 さん 再び木で緑で覆われる頃には人々の悲しみも癒されているのかもしれませんが、まだまだ長い時間がかかりそうです。
by 袋田の住職 (2012-09-13 14:37) 

kazoo

子供のころ歌った「シャボン玉」を口ずさんでいました。
by kazoo (2012-09-13 22:39) 

袋田の住職

kazoo さん シャボン玉は頭にすぐに浮かぶメロディでだれでも口ずさめる曲ですね。
by 袋田の住職 (2012-09-15 06:38) 

小春日和

 私の主人は雨情さんの生家の離れで生まれたそうです。
父が電力会社へ勤めていた関係で転勤で家族で行っていたそうです。
生前によく聞かされて居たので、今思えば、元気な間に一度訪ねて幼少の頃の想い出に浸して上げればよかったと思います。、姉たちは水着を着て近くの海へよく泳ぎに行ったそうです。震災にも無事で良かったと思います。
こちらにも雨情さんの 碑 が建っていますがその前で私が「赤い靴」の歌の指揮をさせて頂いたのもご縁が有ったのでしょうか。
by 小春日和 (2013-02-21 14:51) 

袋田の住職

小春日和 さん そうでしたか!二つ島のあたりで泳いでいたのでしょうか?良い所ですね。
by 袋田の住職 (2013-02-21 21:17) 

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