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㋬ 能登半島の突端を回って三崎へ・・・ [観光]

光尚の永平寺瑞世の旅行三日目は、永平寺を出て、輪島を観光し千枚田から半島の突端へと向かいました。

禄剛崎の灯台の下に狼煙という場所があります。

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↑ ここで、トイレに寄ったり、お土産を買ったりしました。

ここから、少し南下した所に珠洲市三崎があります。



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↑ 出村家の本籍地を住所と番地を元にたどっていったら、臨済宗の琴江院というお寺でした。

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↑ 門柱のところで、出村家の子孫で記念撮影しました。

齋藤道痴老師が、最初に住職を勤めた天崇寺はその近くにありました。

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↑ ここは、曹洞宗の寺院です。

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↑ 鐘楼がありました。

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↑ ものすごく高い供養塔が立っていました。

ここの住職となった斎藤道痴老師は、その後、兄である小原宜仙老師に呼ばれて茨城県の上小川の長福寺にやってきます。

その時、出村玉明尼も一緒について来たのだと思います。

武生の瀬戸家の出身で、叔父の齋藤道痴の弟子となった瀬戸信界は、出村玉明の養子になります。

出村信界は、袋田の龍泰院の住職となり、静の臨済宗弘願寺の園部ちのゑと結婚します。

これが、出村家のファミリーヒストリーの一端です。
能登町のお宿をめざす途中、案内板が気になって寄ってみた観光地・・・

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↑ 能登半島を代表する景勝地です。

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↑ ここで記念撮影。

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↑ 恋人の聖地なってました。

他にも、能登半島には恋人の聖地の砂浜などもありましたが、駆け足で一周回って帰りました。

今は、車で一日で回れる能登半島ですが、明治時代にここから茨城まで来るのは大変だったと思います。

瀬戸家から、小原宜仙老師、斎藤道痴老師、出村信界が出たおかげで、茨城だけでも、

思い浮かんだだけで、祇園寺、皇徳寺、霊源寺、蒼龍寺、龍泰院、常安寺、鱗勝院、白馬寺、医王院などの住職が、瀬戸家の血を引いているか、養子になっているか、法類になっています。

観光客で賑わう、大子町のもみじ寺、永源寺の住職も齋藤道痴老師の曾孫になります。

最終日は、能登から富山県の氷見漁港でお昼を食べ、立山連峰を見ながら帰路につきました。

富山湾越しの立山連峰の絶景や蜃気楼の写真は次記事で紹介します。



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