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城里町石塚の霊源寺さまの結制法要 [信仰]

永源寺さまの次は、霊源寺さまの記事です。

11月4日(火)友引、快晴です。

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↑ 本堂が青空に映えていました。

曹洞宗寺院の住職は、結制修行を行うと、大和尚という位になり、緋の衣を着けることができます。



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↑ 結制上堂で須弥壇上に登る霊源寺の住職さん

香を焚き、法を説き、問答が行われます。

問いかけには、短い言葉で、見事に答えてました。

大事なのは、やはり「只管打坐」です。

次の法要は、首座法戦式、首座和尚と若い僧侶との問答があります。

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↑ 首座和尚さまが奉持しているのは、本則です。

従容録の第二則、達磨様に関する本則です。

首座和尚様は住職のお孫さん、なかなかのイケメンです。

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↑ いよいよ問答です。

無事に乗り切りました。

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↑ 私の父は、霊源寺の三代目の住職でした。

昭和31年に行われた、龍泰院38世晋山結制の時の集合写真です。

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この時首座を勤めた、若い日の霊源寺の住職さんが、前列右から二人目に写っています。

新命出村英信大和尚の後ろで、焼香侍者を務めて頂いているのが、もみじ寺永源寺の中興、中村大信先代住職です。

石塚の霊源寺は、光圀公が東皐心越禅師を水戸に迎えて祇園寺を開いた時、禅宗寿昌派の寺として末寺になりました。

やがて、寿昌派は衰退し、霊源寺も廃寺となっていましたが、祇園寺の小原宜仙老師が、鉄道建設の際、建物跡が見つかったのを機に、再興しました。

門井住職のお母さんは、宜仙老師の娘で、私の祖父の従兄妹にあたります。

その関係で、私の父が霊源寺の住職になったり、門井家から住職に入ったりしてきました。

私の祖父出村信界は、小原宜仙老師と同じ、福井県の武生の瀬戸家の出身です。

霊源寺では、お孫さんがあとを継ぐことになり、誠におめでたいことです。

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↑ 現在、曹洞宗の審事院審事を務められている祇園寺住職小原宜弘老師です。

祝宴で小原老師は、あいさつの中で、その辺のことや、

若いころ、霊源寺を訪れた時は、本堂も無く、どこへ行っていいかわからない状態だったが、

門井住職の時代に、本堂や客殿をみごとに再建されたと述べられていました。

※ 平成3年3月に本堂落慶法要、平成16年3月に客殿落慶法要が行われています。

法要の後、集合写真を撮影しました。

今年から、結制が終えた時にだす解制届に法戦式の時の写真の他に、
集合写真を添付することになったそうです。

曹洞宗では、一番大事な行持なので、チェックも厳しいです。

今週末は、袋田の滝も大子のもみじ寺「永源寺」さまも紅葉が見頃だと思います。



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