SSブログ

指令!関鉄之介を探せ!-その4-誠一郎君はどこへ・・・編 [映画「桜田門外ノ変」]

先日、水戸に止まった翌日(15日)の朝に撮影した撮影した写真で記事をつづります。
まずは、常磐(ときわ)共有墓地から・・・

常磐共有墓地の中には、全国的に有名なこの方も眠っています。

tokiwa2.jpg

↑ 「故老牛居士安積君墓」とありますが、誰だかわかりますか?





tokiwa3.jpg

案内看板をご覧いただくとここが安積覚、すなわち水戸黄門に仕えた格さんのお墓だと分かります。
ちなみに、助さんのお墓は常陸太田の正宗寺にあります。

ついでに、風車の弥七のお墓は常陸大宮市にあります。

tokiwa4.jpg

↑ さらに奥の方へ進むと映画「桜田門外ノ変」の幟の立ったお墓があります。

tokiwa5.jpg

↑ ここが、関家の墓です。

tokiwa6.jpg

↑ この大きな墓石が映画「桜田門外ノ変」の主役で袋田ともかかわりの深い関鉄之介さんのお墓です。

そちて、その横に建っている墓石は・・・

tokiwa7.jpg

↑ 関誠の墓とあります。

ネットで調べても、関誠一郎のその後が分かりませんでしたが、お墓をお参りしてその謎が解けて安心しました。
すなわち、これこそ、関鉄之介の一子、映画では加藤清史郎くんが演じた鉄之介の息子誠一郎くん!
誠一郎くんは成長して、関誠と名乗り、立派に父の志を継ぎ関家を守ったのでした。

関家のその後は、この記事への私のコメントを読むと分かります。


tokiwa1.jpg

↑ 常磐共有墓地の一角には、水戸天狗党の死者を中心に祀る、水戸殉難志士の墓もあります。

幕末の水戸藩の内乱ともいえる、天狗・諸生の戦いで亡くなった人たちの墓石が並んでいます。

tokiwa8.jpg

↑ 水戸の台地の上にある常磐共有墓地からは、北に奥久慈男体山の特徴ある山並みが望めます。


常磐共有墓地には、水戸学を確立し、尊王攘夷思想の大御所ともいえる、藤田幽谷・東湖親子のお墓もありますので、後日機会があったらご紹介いたします。
nice!(37)  コメント(36)  トラックバック(0) 

nice! 37

nice!の受付は締め切りました

コメント 36

Silvermac

維新の志士で維新を見ることなく亡くなった方には追悼で位階が贈られていますね。
by Silvermac (2010-12-18 06:53) 

ゴーパ1号

わかりやすく?幟が立っているのですねf^_^;)
by ゴーパ1号 (2010-12-18 07:44) 

旅爺さん

茨城では常磐(ときわ)と(じょうばん)の呼び名があるので迷いますね。
格さんの墓はお参りしてアップしたことがあります。 
by 旅爺さん (2010-12-18 08:49) 

うしさん

今はお墓もいらないと言う方もいますが
墓参で昔の鎌足貞光とかの名前の墓で昔の人をしのべますね
ほんの30年ほど前までは墓を見ればその家の家柄がわかるとか。まあ士農工商が生きていた時代のことですがは
by うしさん (2010-12-18 09:00) 

たいへー

うっかり八兵衛は、どこに・・・^^;
by たいへー (2010-12-18 10:53) 

水郷楽人

歴史に触れる良い場所ですね。水戸藩の幕末・維新の動向が理解できそうです。
by 水郷楽人 (2010-12-18 11:27) 

yakko

こんにちは。
常磐共有墓地には歴史上の人物が多く眠っておられるんですね。
by yakko (2010-12-18 13:45) 

aranjues

へ~~、弥七って実在の人物なんですね。
お墓まであるんですか。リンクたどって見てきました。
by aranjues (2010-12-18 14:20) 

okko

今にして思えば、水戸藩の尊皇攘夷論、時代錯誤ということになりましたね。ワタシたち、井伊直弼は悪い人と歴史で思い込まされていました。
いずれにしても、それぞれが、筋の通った一念を貫いた時代だったということですね。
by okko (2010-12-18 15:11) 

袋田の住職

Silvermac さん 関鉄之介も断罪に処せられたのにも関わらず、
明治政府によって、復権がなされ、明治天皇より追贈されたようです。

ゴーパ1号 さん 幟があるので初めての人でも分かります。

旅爺さん 常磐(ときわ)と常磐(じょばん)、日立と常陸、まぎらわしいですね。

うしさん 故人を偲ぶ場所として、また、ドラマや映画の舞台としてもお墓は必要ですね。

たいへー さん 風車の弥七の本名は松ノ草の小八兵衛といいます。

水郷楽人 さん 水戸藩は維新の精神の礎だったのに末路は悲惨でした。

yakko さん 常磐共有墓地には水戸藩の藩士が多く眠っています。

aranjues さん モデルになった実在の人物がいます。
黄門さまのために裏の世界で働いていました。

okkoさん 立場によって人物像の見方が違ってきますが、それぞれ歴史に名を残した人物はそれだけの生き方をしてますよね。
水戸藩の思想は、大日本史に由来し、日本の歴史を研究するところから生まれました。
幕府政治が行き詰まった時、多くの日本人が時代の先行きを見失っていました。
そんな時、光圀にはじまる、勤皇思想により、朝廷より政治を任せられた将軍は天皇に政権を返上すべきだといういう考えが生まれました。
平和裏に政権交代がなされたことは、日本にとって実に幸運なことでした。
有色人種の国家が、西欧列強や米国から独立を守れたという例はわずかしかありません。
その大政奉還の英断を下したのが、水戸斉昭の子どもだった徳川慶喜だったといのも時代のあやというものでしょうか。
いずれにしても、時代から生き方を学ぶということは大事なことであり、
めまぐるしく変わる現代社会においてもそれは例外ではありません。
by 袋田の住職 (2010-12-18 17:01) 

kohtyan

幕末での水戸藩の功績は、大きいですね。
by kohtyan (2010-12-18 17:41) 

はる

いろいろな歴史が分かる墓地ですね。
関家は今も続いているのでしょうか?子孫とかが気になります。
by はる (2010-12-18 18:32) 

テリー

関鉄之介、彼が、旧幕府を倒す真の立役者ですね。
by テリー (2010-12-18 19:12) 

弁慶

水戸黄門のお膝元、歴史的な遺跡が残っていますね。
その時代を創造すると、何かわくわくしますね♪
by 弁慶 (2010-12-18 20:18) 

袋田の住職

kohtyan さん 水戸藩がなければ明治維新は来なくて、混迷の時代へと落ちいたと思われます。

はるさん 茨城県人としては気になりますね、
ちなみに、誠一郎こと誠さんは神官に、さらにその子供は銀行員になったようです。
関家は今でも続いているようです。

テリーさん 御三家のひとつ、水戸家が幕府を倒す原動力となったことは歴史の皮肉ですね。

弁慶さん 水戸は宣伝することが苦手なのですが、けっこう歴史的なものが残っています。
幕末の歴史を想像すると興味深いです。
桜田門外の変から、まだ150年位しかたってませんので・・・
by 袋田の住職 (2010-12-18 20:32) 

yamaoji

歴史もそうですが、今のyamaojiには、整然と並んでいる、墓石これさへなんともいえない思いが募ります。
なぜだかは????

by yamaoji (2010-12-18 21:15) 

海を渡る

こんばんは。
歴史がますます面白くなります。
by 海を渡る (2010-12-18 22:10) 

kazoo

常磐共有墓地は歴史を物語る貴重な場所なのですネ。
by kazoo (2010-12-18 23:03) 

きまじめさん

水戸黄門に出てくる人たちは、お墓があるということは皆実在したのですね。
黄門さん以外はフィクションだと思っていました。
by きまじめさん (2010-12-18 23:56) 

袋田の住職

yamaoji さん 日本の墓地の形態とは違い、殉難志士の墓は整然と並んでますね。

海を渡る さん 幕末の歴史は、まだ比較的近いだけにいろいろな思いが深いようです。
それがわかってくると面白いです。

kazooさんここに、間違いなく歴史を動かした人が眠っています。

きまじめさん 江戸時代の講談に始まり、ドラマや映画に登場する黄門様の周辺の人にはけっこう実在した人物がモデルになっているようです。
助さん格さんのキャラクターはだいぶ違ってますが・・・
by 袋田の住職 (2010-12-19 08:17) 

青い鳥

しばし、幕末の出来事にあれこれ思いを巡らせるひと時を過ごしました。
常磐共有墓地には貴重な歴史の証言となるお墓がこんなに多くある、
すごい場所なのですね。
by 青い鳥 (2010-12-19 13:06) 

袋田の住職

青い鳥 さん ここに眠る人たちがいなかったら時代は違っていたでしょうね・・・
by 袋田の住職 (2010-12-19 15:55) 

長七

水戸藩士の志士こそが日本の開国における功労者。
薩摩はおいしいとこ、とりました
by 長七 (2011-08-12 23:57) 

袋田の住職

長七さん、そういってもらえれば桜田烈士も浮かばれるでしょう。
by 袋田の住職 (2011-08-13 12:24) 

常盤共有墓地

今は関家は東京に住んでおります うちは誠さんのひ孫です
by 常盤共有墓地 (2011-08-26 22:35) 

袋田の住職

常盤共有墓地さま、コメントと貴重な情報ありがとうございました。
袋田には櫻岡源次エ門のご子孫がおりますので是非子孫同士の対面を果たして頂きたいです。
by 袋田の住職 (2011-08-27 23:38) 

吉村康治

私の曽祖父は、黒田藩家臣で、現在の北九州市若松区の代官で若松の港を管理していた様です。関鉄之助氏が下関から薩摩に逃れる為に、小倉の港を避けて(小倉藩は小笠原氏で親藩の為)若松の港に入った時に、曽祖父の
吉村弥平次信近が、何日か匿い、薩摩行に力を貸した様で、残念ながら薩摩から追い帰されたようです。その後、水戸に隠棲された頃にその折の礼状戴き
大事にしていたらしいのですが、私の父が戦後骨董屋に懇願され売却したそうです。残念でなりません。
by 吉村康治 (2014-08-03 23:00) 

袋田の住職

吉村康治 さん 時代の貴重な証言ありがとうございます。
水戸と九州は、深い縁があったんですね。
by 袋田の住職 (2014-08-05 21:33) 

関鉄之助の子孫について

私の母方の父は関鉄之助の子孫です。
しかし 関の姓を捨て杉山炭鉱の娘さんと結婚養子に入り

今は子孫は半数 杉山で福岡市内に在住です

墓は祖父の兄がもりをしています。

幼い頃迄 家紋の入った 重箱や弁当箱 かけいずも有りました。


by 関鉄之助の子孫について (2015-02-03 18:57) 

袋田の住職

関鉄之助の子孫について さん コメントありがとうございます。
うちは、櫻岡源次衛門ゆかりのお寺でし。
櫻岡源次衛門の子孫の方は、袋田温泉思い出浪漫館の近くに住んでいます。
情報ありがとうございました。
by 袋田の住職 (2015-02-04 16:34) 

関鉄之助の子孫について

名古屋にも子孫はいます。嫁いでいますので 鷲野ですが

ここには 何度かマスコミ関係者が 確か高杉晋作との手紙を見せてくれとこられていたようです。

私自身も子孫にあたるのですが あまり実感はありません。

私の祖父は関を捨てたわけですし 祖父は 養子前は 関 良助です。

直子の 名前 長女慶子 次女康子 三女敏子(敏子は後妻の連れ子なので無関係)四女篤子 長男良太です。

祖父良助は30年前に他界しております。

慶子 篤子以外は福岡市内に在住しています。

早良区と西区です。

映画を観て 涙していました。
私は あまりピンときませんでしたが

子孫達は 普通の平凡な生活をしていますが 身内に自殺や障害を抱える 倒産等 あまり良い思いをしていないので

私は 個人的に 殺された方々の怨念ではと 考える事があります。

私自身は 兵庫県三木市在住です

何か質問等がありましたら お知らせ下さい。
by 関鉄之助の子孫について (2015-02-06 15:10) 

河童虫

私は笠間藩産の者ですが、GWを利用し鉄之助の捕縛地(新潟県は関川の湯沢温泉)に行ってきました。
鉄之助が捕縛された川沿いの宿は、現在は民家となっていましたが
その奥まった温泉地は隠れるのにはもってこいの場所という雰囲気を今なお漂わせていました。ま、水戸からここまで追手が来たとなれば、鉄之助もジタバタしないという最終地という雰囲気です。

この地を去る前に、湯沢温泉の入口にある共同浴場に寄って鉄之助と同じ温泉に入りこの地を後にしました。
by 河童虫 (2015-05-06 18:00) 

袋田の住職

関鉄之助の子孫についてさん コメントありがとうございます。
グリーンピア三木に二泊したことがあります。
羽柴秀吉の三木城攻めも有名ですね。
姫路城を含めて、播州の史跡を訪ねてみたいと思っています。

河童虫 さん こうおして、記事を書いてしばらくしても、読んでいただき、コメントを寄せていて頂くことを有り難く感じています。
花燃ゆでは、吉田松陰の水戸遊学も、桜田門外の変も場面として描かれることが無く、スルーされてしまいました。正直言って残念でがっかりしています。
幕末史において水戸が重要な位置であるのに、あえてそれに触れたくないのかと勘ぐりたくなります。

by 袋田の住職 (2015-05-07 05:59) 

中野

関鉄之介先生の志は、大切にしていきます。
命をかけて、新しい時代を、切り開かれた行動に、勇気をいただいております。
by 中野 (2015-10-10 19:12) 

食パン

はじめまして。とても勉強になります。質問ですが、関恕さんは関鉄之介とはどのような関係でしょうか。ご教示賜りたく存じます。
by 食パン (2023-02-24 08:53) 

食パン

関恕(關恕)と関鉄之介(關鐡之介、遠)の関係が、恕が弟、鉄之介が兄だと分かりました。恕に「じょ」とルビがあります。『桜田義挙録 : 維新前史 花 訂正版 』P.316(岩崎英重 吉川弘文館 1911年 3版)
by 食パン (2023-02-24 17:23) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0