復興への願いが込められた土のう袋を使わせて頂きました。 [防災!復興祈願]
5月19日(土)、雨のためボランティアの受付けはありませんでしたが、週末ということで、親戚の人や友人が集まり、それぞれの被災家屋で片付けが行われてました。また、常総市商工会青年部など、つながりを生かした支援も行われていました。
明日(20日)は、また、午前9時から震災ボランティアを受け入れます。大勢のボランティアを受け入れるため、駐車場は大子広域公園のフォレスパ大子駐車場になりました。そこから、シャトルバスでの送迎があるそうです。軽トラ、ダンプ、ボランティア送迎用車両などを提供できる方は、直接、まいん駐車場へ向かってください。
とにかく、泥の上は滑ります。転倒すると大けがにつながります。車の運転も交通法規を守り、普段よりゆっくりと、十分に確認しての運転を心がけてください。
ご安全にお願いします。
いずれにしても、あらかじめ、大子町社会福祉協議会、大子町災害ボランティアセンターにご連絡いただくとスムーズです。
参考のために、昨日行ったボランティア活動の様子を記しておきます。
5月18日(金)は、大子町災害ボランティアセンターには131人が登録し活動しました。
今回は、団体で入るということで、事前に2回打ち合わせをさせていただいてます。
↑ 茨城県曹洞宗青年会の皆さんです。
鬼怒川が決壊した水害では常総市内の被災家屋で、先月の台風15号の時は千葉県南部で活動しています。
今回もすでに、各地でそれぞれ活動していましたが、この日は6名の方が大子町に来てくれました。
↑ 受付で説明を聴き、必要事項を記入し中で待ちます。
↑ 班長が作業内容、注意事項の説明を受けますが、1を聴いて10を知る、
わからないところだけ質問して確認する、慣れているのでスムーズです。
↑ たまたま、還暦を迎えた同級生の菊池くんと一緒になりました。
今回初めてボランティアに参加し、ボランティアに目覚めた!と笑顔で2日目の活動に入って行きました。
17日、18日と近くの病院で再開に向けて、病院内の清掃作業をしていたそうです。
おかげで、19日から、私が薬を処方してもらっている病院が再開できました。
ボランティアの派遣先や作業内容は、ボランティアセンター本部で決めます。
↑ 軽トラックに角スコップや一輪車の道具を登載し、おにぎりなどを持って、
他の方は歩いて、指示された久慈川の川沿いの被害の大きかったお宅へ・・・
↑ ここで、土のう袋の登場です。
家の回りや側溝の中の泥土を土のう袋に詰めていきます。
夜には雨が降り出すという予報なので、側溝の掃除は急務です。
集めた泥土をここに置いておくわけにもいかず、依頼主と相談し、班長がボランティア本部に連絡し、
業務の追加についての指示を仰ぎます。
派遣先で、指示された内容以上の作業を勝手にすると、あとあとトラブルになることがあるので、必ず本部の了解を仰がなければなりません。
そして、できること、できないことをはっきり依頼主に言うことも大事です。
私は、登録せずにフリーでサポートするつもりだったのですが、
泥土を運び出すには、私の軽トラックも使いたいので、私が運転することに・・・
それには、災害ボランティアとして登録しなければなりません。
本部へ行って、保険に入り、登録していただきました。
↑ 131名のうちの1名が私です。
「身体は一つしかないんだよなぁ」 東日本大震災の時、一緒に東北の被災地に縁台を運んだ菊池大工さん、地元での災害に、手が回らないようです。
私も、身体は一つしかないので、行きたいと思ってもすべてに関わることは不可能です。
ボランティアセンターでは、緊急を要する依頼や、人手が足りない家を優先に派遣してくれるので、
そこで、受付けをして、参加するのが一番だと思いました。
↑ 重い土のう袋がたくさん積み上がりました。
↑ 軽トラック2台に積み込み、
アップルラインの峠の所まで運びました。
↑ お昼前に1回、午後1回運んだあと、ボランティアセンターに寄って追加の土のう袋をいただいてきました。
持っているのは、常陸大宮市のお寺の副住職である甥っこです。
土のう袋のメッセージをみて、青年僧侶たちも、重い土のう袋を持ち上げるのは大変でいやになるけど、
子供たちが書いたメッセージやかわいいイラストを見ると元気をもらえて笑顔になれると言ってました。
2度目の運び出しから戻り、差入れをいただいて、休憩していると、ビックリすることがありました。
そのことは、次記事で書くことにして、水害の時、どうしたら、財産の被害を少なくできるか考えてみました。
今日も、被災した家や事業所を回ってましたが、電話が壊れて使えない、コピーが壊れた、テレビがみられないなどの話を聴きました。
電子部品をたくさん使った今の電化製品は水に弱いです。
衣類が泥水に浸かって、洗濯しても落ちないという話も聴きました。
安い服なら捨てられますが、高い衣服や思い出の衣服を捨てるのは涙が出るほどつらいと言ってました。
家庭の洗濯機で洗っても落ちなかった服が、コインランドリーの高性能洗濯機で洗ったらきれいになったという話を聴きました。高価なものは、クリーニング業者に依頼するとよいかもしれません。
アルバムの写真は、思ったより汚れてなかったとか、文書は字がにじんで読めなくなっていたとか、
そこで、考えたのが、小さな電化製品は、2階など高いところへ移動するか、ジプロックなど水圧に耐えられる透明袋に入れて保管する方法です。
大事な本なども、厚手のビニール袋に入れれば守れるのかもしれません。
地震と違って、台風は数日前から対策をとれます。
テレビやコンピューターをビニール袋で包んでしまうのもありかなと思います。
車を高台に移動しておけば、廃車にせずにすんだのに、何台も車がダメになってがっかりしている人が大勢います。
ここまで水が来るとは思わなかった。あまく見ていたという声をたくさん聴きました。
じつは、度々増水する川の近くに住む東南アジアの人は、貴重な財産である車自体を巨大なビニール袋で包んでしまうそうです。この地域に高台はありません。
皆さんも、大水が来そうなときは、想像をめぐらし、いろいろな対策を考えてください、そんな思いで記事に書いてみました。
他にも有効な方法があるかもしれませんが、大切な財産を守る方法をこれからも考えていきたいと思います。
でも、何より大事なのは、人の命です。
財産はまた築くことはできますが、一度失われた命は、帰ってきません。
1週間たって、被災者はかなり疲れています。
一度被災地を離れて、温泉などでくつろぐのも、心の健康のためには必要な事です。
水害というのは、浸水した被災地から少し離れるだけで、周りでは、今まで通りの生活が営まれているのです。
人間、無理ができるのはそんなに長い時間じゃありません。休憩する時も必要です。
ボランティアも張り切りすぎると長続きしません。先は長いので、ゆっくり進んでいきましょう。
いっぺんに片付けようとしないで、ひとつ、ひとつ、一歩一歩、前を向いて歩るいていきましょう。
「一人じゃないよ!」 「だいじょうぶ」 「明日は必ず来る。」
そんな、メッセージが土のう袋には書いてありました。
明日(20日)は、また、午前9時から震災ボランティアを受け入れます。大勢のボランティアを受け入れるため、駐車場は大子広域公園のフォレスパ大子駐車場になりました。そこから、シャトルバスでの送迎があるそうです。軽トラ、ダンプ、ボランティア送迎用車両などを提供できる方は、直接、まいん駐車場へ向かってください。
とにかく、泥の上は滑ります。転倒すると大けがにつながります。車の運転も交通法規を守り、普段よりゆっくりと、十分に確認しての運転を心がけてください。
ご安全にお願いします。
いずれにしても、あらかじめ、大子町社会福祉協議会、大子町災害ボランティアセンターにご連絡いただくとスムーズです。
参考のために、昨日行ったボランティア活動の様子を記しておきます。
5月18日(金)は、大子町災害ボランティアセンターには131人が登録し活動しました。
今回は、団体で入るということで、事前に2回打ち合わせをさせていただいてます。
↑ 茨城県曹洞宗青年会の皆さんです。
鬼怒川が決壊した水害では常総市内の被災家屋で、先月の台風15号の時は千葉県南部で活動しています。
今回もすでに、各地でそれぞれ活動していましたが、この日は6名の方が大子町に来てくれました。
↑ 受付で説明を聴き、必要事項を記入し中で待ちます。
↑ 班長が作業内容、注意事項の説明を受けますが、1を聴いて10を知る、
わからないところだけ質問して確認する、慣れているのでスムーズです。
↑ たまたま、還暦を迎えた同級生の菊池くんと一緒になりました。
今回初めてボランティアに参加し、ボランティアに目覚めた!と笑顔で2日目の活動に入って行きました。
17日、18日と近くの病院で再開に向けて、病院内の清掃作業をしていたそうです。
おかげで、19日から、私が薬を処方してもらっている病院が再開できました。
ボランティアの派遣先や作業内容は、ボランティアセンター本部で決めます。
↑ 軽トラックに角スコップや一輪車の道具を登載し、おにぎりなどを持って、
他の方は歩いて、指示された久慈川の川沿いの被害の大きかったお宅へ・・・
↑ ここで、土のう袋の登場です。
家の回りや側溝の中の泥土を土のう袋に詰めていきます。
夜には雨が降り出すという予報なので、側溝の掃除は急務です。
集めた泥土をここに置いておくわけにもいかず、依頼主と相談し、班長がボランティア本部に連絡し、
業務の追加についての指示を仰ぎます。
派遣先で、指示された内容以上の作業を勝手にすると、あとあとトラブルになることがあるので、必ず本部の了解を仰がなければなりません。
そして、できること、できないことをはっきり依頼主に言うことも大事です。
私は、登録せずにフリーでサポートするつもりだったのですが、
泥土を運び出すには、私の軽トラックも使いたいので、私が運転することに・・・
それには、災害ボランティアとして登録しなければなりません。
本部へ行って、保険に入り、登録していただきました。
↑ 131名のうちの1名が私です。
「身体は一つしかないんだよなぁ」 東日本大震災の時、一緒に東北の被災地に縁台を運んだ菊池大工さん、地元での災害に、手が回らないようです。
私も、身体は一つしかないので、行きたいと思ってもすべてに関わることは不可能です。
ボランティアセンターでは、緊急を要する依頼や、人手が足りない家を優先に派遣してくれるので、
そこで、受付けをして、参加するのが一番だと思いました。
↑ 重い土のう袋がたくさん積み上がりました。
↑ 軽トラック2台に積み込み、
アップルラインの峠の所まで運びました。
↑ お昼前に1回、午後1回運んだあと、ボランティアセンターに寄って追加の土のう袋をいただいてきました。
持っているのは、常陸大宮市のお寺の副住職である甥っこです。
土のう袋のメッセージをみて、青年僧侶たちも、重い土のう袋を持ち上げるのは大変でいやになるけど、
子供たちが書いたメッセージやかわいいイラストを見ると元気をもらえて笑顔になれると言ってました。
2度目の運び出しから戻り、差入れをいただいて、休憩していると、ビックリすることがありました。
そのことは、次記事で書くことにして、水害の時、どうしたら、財産の被害を少なくできるか考えてみました。
今日も、被災した家や事業所を回ってましたが、電話が壊れて使えない、コピーが壊れた、テレビがみられないなどの話を聴きました。
電子部品をたくさん使った今の電化製品は水に弱いです。
衣類が泥水に浸かって、洗濯しても落ちないという話も聴きました。
安い服なら捨てられますが、高い衣服や思い出の衣服を捨てるのは涙が出るほどつらいと言ってました。
家庭の洗濯機で洗っても落ちなかった服が、コインランドリーの高性能洗濯機で洗ったらきれいになったという話を聴きました。高価なものは、クリーニング業者に依頼するとよいかもしれません。
アルバムの写真は、思ったより汚れてなかったとか、文書は字がにじんで読めなくなっていたとか、
そこで、考えたのが、小さな電化製品は、2階など高いところへ移動するか、ジプロックなど水圧に耐えられる透明袋に入れて保管する方法です。
大事な本なども、厚手のビニール袋に入れれば守れるのかもしれません。
地震と違って、台風は数日前から対策をとれます。
テレビやコンピューターをビニール袋で包んでしまうのもありかなと思います。
車を高台に移動しておけば、廃車にせずにすんだのに、何台も車がダメになってがっかりしている人が大勢います。
ここまで水が来るとは思わなかった。あまく見ていたという声をたくさん聴きました。
じつは、度々増水する川の近くに住む東南アジアの人は、貴重な財産である車自体を巨大なビニール袋で包んでしまうそうです。この地域に高台はありません。
皆さんも、大水が来そうなときは、想像をめぐらし、いろいろな対策を考えてください、そんな思いで記事に書いてみました。
他にも有効な方法があるかもしれませんが、大切な財産を守る方法をこれからも考えていきたいと思います。
でも、何より大事なのは、人の命です。
財産はまた築くことはできますが、一度失われた命は、帰ってきません。
1週間たって、被災者はかなり疲れています。
一度被災地を離れて、温泉などでくつろぐのも、心の健康のためには必要な事です。
水害というのは、浸水した被災地から少し離れるだけで、周りでは、今まで通りの生活が営まれているのです。
人間、無理ができるのはそんなに長い時間じゃありません。休憩する時も必要です。
ボランティアも張り切りすぎると長続きしません。先は長いので、ゆっくり進んでいきましょう。
いっぺんに片付けようとしないで、ひとつ、ひとつ、一歩一歩、前を向いて歩るいていきましょう。
「一人じゃないよ!」 「だいじょうぶ」 「明日は必ず来る。」
そんな、メッセージが土のう袋には書いてありました。
2019-10-19 19:31
nice!(9)
コメント(0)
コメント 0