㋩ 永平寺門前の柏樹関(はくじゅかん) [信仰]
10月28日(木)は、糸魚川の温泉 ホテル国富アネックスを出発し、越前市武生に向かい、
祖父の生家を訪ねました。
そのあと、永平寺の門前で食事をし、私と甥が宿泊する柏樹関にチェックインしました。
↑ 永平寺門前を再開発して、環境整備し、柏樹関という宿泊施設もできました。
越前市家久町の瀬戸家で記念撮影しました。
私の祖父、出村信界和尚が生まれた家、瀬戸家はこの奥です。
この写真は、令和元年9月に御誕生寺に板橋禅師を訪ねた時に、瀬戸家の下見をした時に撮影しました。
この家からは、信界和尚の叔父にあたる、祇園寺の4世小原宜仙老師、長福寺39世斎藤道痴老師も出ています。
↑ 外観も素敵ですが、中もなかなかお洒落です。
↑ 部屋のカギは、磁石でくっついていて、このように二つに分けられます。
↑ 薬石(夕食)です。
懐石料理のほか、精進料理も選べるので、せっかくなのでそちらにしました。
↑ 柏樹関と永平寺を結ぶ石畳の道です。
↑ こちらは、拝観者が入っていく石造りの龍門です。
「 杓底の一残水 流れを汲む千億の人 」 と刻まれています。熊沢泰禅禅師の書です。
↑ 私たちは、柏樹関で支度を整え、龍門から境内に入りました。
↑ 甥が門前で食べたソースカツ丼と越前そばのセットです。
私は、向かいに写っているおろし蕎麦セットをいただきました。
吉祥閣の総受処で瑞世の手続きをし、光尚は瑞世師寮へ、私たちも少しそこにいて
そのあと、柏樹関に戻り食事となりました。
29日は、午前5時20分に永平寺に上り、控え室から朝課の行われる、法堂(はっとう)へと案内されました。
祖父の生家を訪ねました。
そのあと、永平寺の門前で食事をし、私と甥が宿泊する柏樹関にチェックインしました。
↑ 永平寺門前を再開発して、環境整備し、柏樹関という宿泊施設もできました。
越前市家久町の瀬戸家で記念撮影しました。
私の祖父、出村信界和尚が生まれた家、瀬戸家はこの奥です。
この写真は、令和元年9月に御誕生寺に板橋禅師を訪ねた時に、瀬戸家の下見をした時に撮影しました。
この家からは、信界和尚の叔父にあたる、祇園寺の4世小原宜仙老師、長福寺39世斎藤道痴老師も出ています。
↑ 外観も素敵ですが、中もなかなかお洒落です。
↑ 部屋のカギは、磁石でくっついていて、このように二つに分けられます。
↑ 薬石(夕食)です。
懐石料理のほか、精進料理も選べるので、せっかくなのでそちらにしました。
↑ 柏樹関と永平寺を結ぶ石畳の道です。
↑ こちらは、拝観者が入っていく石造りの龍門です。
「 杓底の一残水 流れを汲む千億の人 」 と刻まれています。熊沢泰禅禅師の書です。
↑ 私たちは、柏樹関で支度を整え、龍門から境内に入りました。
↑ 甥が門前で食べたソースカツ丼と越前そばのセットです。
私は、向かいに写っているおろし蕎麦セットをいただきました。
吉祥閣の総受処で瑞世の手続きをし、光尚は瑞世師寮へ、私たちも少しそこにいて
そのあと、柏樹関に戻り食事となりました。
29日は、午前5時20分に永平寺に上り、控え室から朝課の行われる、法堂(はっとう)へと案内されました。
2021-11-03 08:56
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コメント(2)
おじいさまの事は覚えてないけど、永平寺門前の出だったんですか。
永平寺とはきれない縁ですね。修行の場でもあり、懐かしかったでしょう。僕もたまーに農大行くと、ほんと懐かしいです。
by norisuke (2021-11-03 17:43)
norisukeさん 祖父の実家は福井県越前市武生なのすが、祖父も私も永平寺で修行しているので懐かしいです。祖父が永平寺の山門で撮影した写真があり、子供のころから見てました。修行に入るとき、同じ場所で撮影できた時は感激しました。そのあと、永平寺のあまりの厳しさに、それどころではなくなりましたが・・・・
by 袋田の住職 (2021-11-05 17:17)