SSブログ

祖母のおもい・・・ [法話]

今日2月18日は私の誕生日です♪
大人になるとあまり特別な事もしませんが、
命を受け継ぎ、そして今日まで生かされてきたことを確認し、
感謝して一日を送ります。
本堂で法事があったり、車で一時間ほどの斎場に出向き檀家さんの葬儀を勤めてきたりと
あわただしい一日でした。

私の誕生日の前日、2月17日は、家では特別な日です。
そのわけは・・・

私の父には、すぐ上に兄がいたのですが、
8歳の時に交通事故で亡くなってしまいました。
昭和5年の2月17日のことです。
家の前の道路に飛び出して轢かれてしまったのです。
車などめったに通らない時代におきた不幸な出来事でした。

突然長男を失った祖母の悲しみは深く、
そのせいで、すっかりやつれ、白髪も増えてしまったそうです。
私の記憶にある祖母は、真白な髪の上品なおばあさんという印象です。
実際の年齢よりも年をとって見えたのはそういう理由だったからでしょう。

小さい頃私は、いつもコタツに入っている祖母に見守られていました。
偶然2月18日に生まれてきた私を、
祖母は死んだわが子の生まれ変わりと信じていたようです。
私が生まれた時の喜びはとても大きかったそうです。

私が小学校に入学する直前の昭和41年の2月27日に66歳で亡くなった祖母ですが、
今でも、どこかで私達を見守ってくれているような気がします。

もし、伯父が健在なら、私の父も、私もお寺をついでいなかったでしょう。
そう思うと、人生って本当に不思議です。

今年は、私の長男が入学する年です。
昨日の朝、お仏壇へ息子と一緒にお線香をあげて、その話をしました。


nice!(41)  コメント(48)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

遺言書いてありますか? [法話]

今日から二月、このブログも一周忌いや一周年です。
「今日から15日まで「涅槃図」を客殿で公開しています。

また、ホームページでは月々の法話を更新しました。
以下、月々の法話からの転載です・・・。」

「皆さんは、遺言を書いてありますか?」
「まだ、遺言など早いと思っている方、
縁起でもないないと思っている方、
いや、私はちゃんと書いてあります!
という方など、様々でしょう。」

 禅僧は、一年の始まりに遺偈(心境を綴った短い漢詩)・遺言・遺嘱などをしたためます。
いつ死んだとしても、後の人に迷惑を掛けないようにという配慮と、禅僧としての心意気を示すものです。
親の葬儀の時に兄弟仲が悪くなったり、親戚ともめたりということも増えてきています。49日忌や一周忌を別に行ったりする事例も見られるようです。
財産分与や法律的なことは他のホームページに譲り、
ここでは、「こんな遺言いかがですか?」という提案をさせて頂きます。

 SO-NETブログのしょーえんさんのところの記事

 http://blog.so-net.ne.jp/syoen/2005-12-11

  に 「永代遺言」というのがありました。
          
  「 お参りありがとう 大丈夫 生きていれば 何とかなる  先祖 」
   
  ご先祖様から子孫へのメッセージを墓石に刻んで残している例です。

しょーえんさんは筑波山の近くのお寺の若い住職さんで税理士もしています。

  これを見て私も、遺言って、遺産の分与に関するものだけではないんだなと思いました。
私も、今年は、遺言に項目を追加し書き直しました。 それは、家族へのお礼の言葉と子ども達へ仲良く元気に暮らしなさいという教えです。財産の分与だけでなく、子孫に伝えたいことを遺言の形で残して置くのは大切なことだと思いました。

  「皆さんもあらためて遺言を書いてみませんか。お世話になっている人への感謝の言葉を添えて・・・」


nice!(33)  コメント(35)  トラックバック(1) 
共通テーマ:日記・雑感

有頂天から奈落の底へ・・・ [法話]

子供の頃、うれしいことがあって得意満面!調子に乗っていると
よく親に「有頂天だな!」とからかわれたものです。

実はこの「有頂天」という言葉はインドに起源を持つ仏教用語です。
九層ある天の中でも一番上で、まさに頂点にあるのが有頂天なのです。
有頂天に登るとまわりには何もありません、したがって何も見えなくなります。
見失って足を踏み外すと、「奈落の底」まっ逆さまです。

しかし、「有頂天」も「奈落」も所詮は煩悩渦巻く迷いの世界。
自分を見失わず、足に地を着け、人生を送っていくのが仏教徒の理想です。

贅沢な暮らしと、豊かな暮らしはまったく違います。
物に感謝し、人に感謝し、誠実に生きる。

どんなに大金を使っても人間の欲望は満たせない!
お釈迦様ははるか昔にそのことに気づき、
人々に正しく生きることを勧めたのでした・・・

今日は、城里町のお寺さんの本葬の大夜(通夜)でした。
明日は、本葬当日です。それにしても寒いですね。。。


nice!(37)  コメント(43)  トラックバック(2) 
共通テーマ:アート

月々の法話より [法話]

皆様 明けましておめでとうございます。
法話についてのリクエストがあったので龍泰院のホームページの月々の法話から転載しました。
ちょうっと難解かもしれませんが、よかったらお読みください。

 平成18年の正月を迎えました。「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」などと言います。お正月を迎えたと思ったら、月日というものは、あっという間に過ぎていきます。
 歳をとると月日の経つのが早く感じられたり、楽しい時間はあっという間に過ぎて、辛く苦しい時間は長く感じるものでもあります。初めての体験では時間が進むのが遅く感じ、一度経験したことは、時間の進むのが早く感じられたりもします。小さい頃、時間の進むのが遅く感じるのは、そういう理由もあるかもしれません。七歳の子どもにとっての一年はそれまでの人生の7分の1、、七十歳の人にとっての一年はそれまでの人生の70分の1に相当する訳ですから・・・。
 道元禅師は『正法眼蔵』有事(うじ)の巻の中で、「山を渡り、河を渡った時のわれというものがあれば、われにその時があり、その時というものは、飛び去ってなくなるものではない」という事が述べられています。一般的には、過ぎ去った時はもう無いと考えますが、道元禅師は、「われ」という人間が存在する限り「その時」も存在し続けると示さています。人間は、その時その時を無駄にせず、いつも真剣に修行を続けることが大事だという教えだと理解して良いのではないかと思います。
 その人間が行った行為は、たとえ時が経過しても消えることはありません。時は飛び去らないのです。昨年も凶悪な事件や悲惨な事故が起こりました。その時の行為の結果から人間は逃れることは出来ません。一生ついて回るのです。
 その時、その時の自分に責任を持って生きていくことこそ人間に求められるものではないでしょうか。


nice!(32)  コメント(34)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

献杯?乾杯・・・ [法話]

今日は、一日境内や、本堂の掃除、窓拭きなどで、写真を撮る暇がありませんでした。
というわけで、今日も画像なしの評論です・・・。

法事の後席などで、故人に献杯をしますよね!
「○○さまのご冥福を祈って~献杯!」と献杯の音頭をとる人がいて
その後、杯を飲み干して、宴席が始まります。

ある、寺院での一周忌、その時、献杯の音頭をとられたご老僧、
簡単な挨拶の後、参列者にくるりと背を向け、
ご遺影と献花とお膳と御位牌の飾られた祭壇に向かって
「献杯」と言って杯を差し上げ、そのまま、お供えになりました。

あ~!そうだ、これが本当の献杯の仕方なんだ!
今まで、見てきたのは、献杯と言って自分で飲み干していたけど
それは、献杯ではなく乾杯なのでは・・・。

もし、自分も献杯の音頭をとることがあったら、故人に向かって
杯を供える献杯をしよう!と思いました・・・。

28日は、父の33回忌、私も父の位牌の前にお酒を供えて献杯しよう!
お父さん! お酒を酌み交わすの久しぶりだね・・・。
今日はゆっくり飲みましょうね・・・。と

明日は、今日の続きで、本堂前の虎の児渡しの庭に杉苔を植えて完成です!
写真をアップできると思うのですが・・・。
乞う!ご期待


nice!(7)  コメント(11)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート