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水戸市植物園答えはバナナです。それに食虫植物! [水戸]

昨日のクイズの答えです。

皆さんおなじみの果物です。

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↑ 葉っぱが縞々のバナナは実も縞々です。

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↑ パパイアです。おいしそうですが採って食べてはいけません。

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↑ 熱帯の果実、これもおいしそうですね♪

ホールで子ども禅スクールの参加者は食虫植物の説明をして頂きました。

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↑ ハエトリ草です。

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↑ ウツボカズラです.

食虫植物は、怖い植物に思われていますが、他の植物との競合をさけ、

虫を獲ることによって、栄養を摂取する道を選んだ植物なのだそうです。

虫を獲り過ぎてもいけないとか?

人間も栄養の摂り過ぎはいけません・・・

 

 


水戸市植物園の熱帯性植物!これは何? [水戸]

今日22日は午前中、お盆のあと伸びてきていた芝の刈り込みやサツキの徒長枝の剪定などをしていました。

午後は、運営委員になっている青少年育成町民会議主催の第25回中高生の主張大会に出席してきました。

後半の二番目と最後に出場した生徒がうちの檀家さんの子供さんだったのでちゃんと最後まで聴いていました。

お約束していた子ども禅スクールで訪れた水戸市植物園のご紹介です。

植物園は県庁ビルも近くに見える水戸市小吹町にあります。

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↑ 植物園は水戸市のゴミ焼却場に隣接しています。

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佐竹公の菩提寺水戸の天徳寺に咲く古代蓮の花 [水戸]

無事に子ども禅スクールから戻ってきました。

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↑ 天徳寺さまの本堂です。

天徳寺は勇猛な戦いぶりから「常陸の鬼」と周辺の武将に恐れられた佐竹義重公が開創したお寺です。

 

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水戸黄門さまが隠居した西山荘 [水戸]

7月26~27日は、常陸太田市の県立西山研修所で曹洞宗茨城県宗務所青少年教化委員会主催の

第38回こどもZENスクールに、次女のちづことその友達ふたり、それに長男のこうしょうを連れて参加してきました。

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歳末を迎えた水戸の中心街! [水戸]

先週は、ソネブロ大乱調でしたので予定していた記事がアップできませんでした。
そこで、18日の月曜日の画像から・・・

↑水戸の芸術館のタワーです。

↑同じく芸術館付近のイルミネーションです!

↑歳末の水戸の街並みです。

実は、この日水戸の大工町で忘年会があり、水郡線に乗って出席してきました。
この日から万歩計を付け出し、普段は車で移動する所を歩いてみました。
この日は、家から袋田駅まで、そして、水戸駅から大工町の往復を歩いてみました。
結果!10000歩までは届きませんでしたが、9154歩

19日、お昼休みに南田気方面へ散歩!夕方関所の湯まで歩いて
結果!9029歩

20日、忙しくてあまり歩けず、1667歩

21日、タイから戻ったmiyokoを迎えに行ったりして 3617歩

22日、冬休みに入ったこうしょうと滝本まで歩いて6522歩

23日、計測せず・・・

そして、今日24日は福島の連れ合いの実家へ行き、
その周辺を一時間ほど歩き、6332歩!

ダイエットにウォーキングを組み合わせれば効果抜群かと・・・

昼休みはブログをすることが多かったのですが、先週はそういう訳で、
ソネブロ炎上に乗じて充実した一週間を送った住職でした・・・

が!しかし、今日、実家でご馳走を食べ過ぎて、体重が元に・・・
明日からまた、歩きます。。。


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徳川光圀公が開いた水戸の祇園寺です。 [水戸]

今日は、水戸の祇園寺さんの施餓鬼会でした。
茨城県でも水戸の旧市街は東京都と同じ七月盆です。

祇園寺は日本へ渡来してきた心越禅師を迎え、光圀公が開いたお寺です。
もともと禅宗寿昌派でしたが、明治になって曹洞宗に属しました。
光圀公は「権中納言」に任ぜられたので唐名の「黄門」と呼ばれましたが、
実は、死後追贈で「権大納言」に任ぜられています。
官位も追贈で正一位まで上がりました。

広大な境内に七堂伽藍が建ち並んでましたが、安政時代の大火で消失し、
このエセキ金剛尊天堂だけが往時をしのぶ建物です。
現在、第五期境内整備計画が進められていて、
この前の右手に立てられる鐘楼堂ですべて完成します。

境内、墓地には、「おーい雲よ!・・・」という雲の詩人として有名な山村暮鳥、
洋画家の中村ツネのお墓があります。

袋田温泉ホテル「思い出浪漫館」の創業者一族竹内家のお墓のあります。
竹内雅人さん(雅山関)が上げた塔婆もありました。

それにしても、とても暑い日でした。ふ~
着物も汗だくになりました・・・


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3月30日水戸の桜、開花宣言! [水戸]

きのう、3月30日、水戸のソメイヨシノの開花宣言がでました。
私は、梅花流研修会並びに梅花流師範会の役員会で水戸の天徳寺さまへ行っていました。

↑画像は、天徳寺さんの境内に咲いていた桜です。
まだ、咲き始めです。

天徳寺は、もともとは常陸太田市に佐竹家本家の菩提寺として建立されました。
佐竹氏が水戸へ本拠を移したとき天徳寺も水戸へ移転しました。
関ケ原の戦いで、徳川家康に味方しなかったということで、佐竹氏は秋田へ転封となります。
常陸国内の佐竹氏ゆかりの寺も多くは秋田へ移されました。
移されたといっても、突然の国替えだったので、常陸のお寺はそのままに秋田の地に別に
天徳寺、鱗勝院、白馬寺、常光院といった名刹が建てられたのです。
その国替えの時、常陸国内の美女と海に泳ぐハタハタが、
佐竹公を慕って秋田へ行ってしまったとも言われてます。
その後、天徳寺の伽藍は、徳川光圀公が明からの渡来僧、心越禅師を水戸に迎えたのが天徳寺です。
のちに幕府の許可を得て、祇園寺と改称し、禅宗寿昌派の総本山としました。
天徳寺は、その際、水戸市郊外の河和田に移されて現在に至っています。

天徳寺さんでの研修会と役員会の後、水戸市内へ移動して懇親会をしました。
お酒を飲んだので、水戸駅南口に出来たばかりのホテルテラスザガーデン水戸に宿泊しました。
大変きれいなホテルでした。

遠く、夕焼けに染まる筑波山も見えます。一番左の高い双耳峰がそれです。

今朝も冷え込みました。水戸の桜の名所桜川のソメイヨシノの並木も開花しましたが
見頃になるまではもう少しかかりそうです。

↑水戸駅南方面。桜川の桜並木も見えます。

↑こちら、北東側です。水戸城の堀割には現在、水郡線が通っています。
ちょうど、常陸大子方面からきた上り列車が入ってきました。
水郡線の堀割の左手西側は二の丸御殿や御三階櫓があった場所で
現在は水戸三高や付属中、水戸二中になってます。
堀割の東側は旧本丸で現在は水戸一高の敷地になってます。

水戸城は、北に那珂川、南に千波湖にはさまれた東西に伸びる台地上にありました。
それを深い空堀や土塁で防御する構造です。

御三階櫓は実際は五階建てで、幕府に遠慮して三階櫓と称してましたが、
普通のお城の天守閣よりも豪壮で大きかったそうです。
戦災で消失してしまったのが残念です・・・


水戸偕楽園の梅まつり [水戸]

坐禅会、法事が無事終わり明日の埼玉県第一宗務所梅花流奉詠大会に出席するため、袋田から熊谷へ向かってます。水郡線から水戸駅で3分、常磐線の特急、フレッシュひたちに乗り継ぎました(;^_^A。
画像は梅まつり期間中の水戸の偕楽園です。早咲きのはだいぶ咲いてますが、全体的にはまだ花は少ないです。3月21日までの土・日・祝日は、観梅デーということで、一部の下り特急が偕楽園臨時駅に停車します。着物姿の水戸の梅大使が出迎えてくれます。
今日は暖かくなって梅の開花も進みそうです。
ソネブロさん、もう春なんですけど、いつまで固まっているのですか?


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水戸黄門様はここで産声をあげました。 [水戸]

水戸藩二代藩主、徳川光圀公は水戸城下の三木之次の屋敷で密かに産声を上げました。
水戸駅北口から東へ5分ほど歩いた所で、今は小さな社が建てられてます。

密かに・・・ということの説明ですが、実は、光圀公は危うく堕胎されそうになったのです。
徳川家康公の末子、11男であった父の頼房公は、身ごもった相手に「堕胎せよ」
と命じたのでした。
しかし、それを不憫に思った家臣が水戸城下の自分の家で密かに生ませたというのです。

やがて水戸城下で、たくましく成長した光圀公と対面した頼房公は、
兄の頼重公を差し置いて、光圀公を水戸藩の世子と定めました。
まだ、まだ、藩内が定まらない情勢の中で、英明な藩主の存在が必要と思ったからでしょう。

こちら、町の中心部南町にある水戸光圀公の像です。
大きな印籠もおかれ葵のご紋が光ってます。
家臣が頼房公の命に従って堕胎させていれば光圀公も生まれず
水戸黄門漫遊記もできなかったことでしょう!

兄を差し置いて二代藩主に就いた光圀公は三代目として、高松藩主となった兄、頼重公の子ども
綱条(つなえだ)公に水戸藩を継がせます。
光圀公の正義感をあらわすエピソードの一つです。

↑ こちら、彰考館跡(現水戸二中)にたてられた、格さんのモデル安積澹泊の像です。
大日本史の編纂事業は江戸にあった小石川水戸藩上屋敷や彰考館で行われました。
安積澹泊は彰考館総裁としてその中核をになってました。
助さんこと、佐々宗惇が全国から集めた資料をもとに、彰考館で大日本史は編纂されました。
そこからうまれた水戸学が幕末の尊王攘夷運動の原動力となっていくのです。
ちなみに、400巻近い大書大日本史が完成したのは明治になってからです。

昨今の天下りや官製談合、さまざまな偽装問題の発覚!
正義感が強く、民衆のことを第一に考え藩政を行った黄門様がご覧になったら
なんと思うでしょう!


水戸の弘道館で蝋梅の花が咲いてました。 [水戸]

今日は所用で、水戸に出かけてきました。
こちら、水戸藩校、弘道館の正門です。

観覧料190円を払って中に入りました。

弘道館は第九代藩主徳川斉昭公が作った178,400㎡もある日本最大の藩校です。
斉昭の息子で最後の将軍となった徳川慶喜公もここで学びました。
中にはたくさんの梅の古木があります。
本数では偕楽園に負けますが、品種や古さでは弘道館がまさります。

梅は咲いてませんでしたが、玄関の向かって左側に蝋梅が咲いてました。

蝋梅は中国から伝わった花木でとってもよい香りがします。

弘道館正庁の玄関にはいると、力強い「尊攘」の掛け軸が!
尊王攘夷の思想を教育方針としていたので、吉田松陰や久坂玄瑞など
勤皇の志士たちもここを訪れたそうです。
明治維新は、水戸から始まったといっても過言ではありません。

この紋所が眼に入らぬか!という決まり文句は水戸葵の御紋!
長持の葵の御紋が時代を超えて輝いてました。